出井
藤田美希子さん、本日はよろしくお願いいたします。
本日のインタビュアーの出井千嵯と申します。
まず、藤田美希子さんのご紹介をさせていただきます。
藤田さんは千葉県生まれで、2008年に多摩美術大学絵画学科油画専攻を卒業され、その後ドイツのミュンヘン造形芸術大学においてディプロマを取得されていらっしゃいます。
2016年より鳥取市鹿野町へ移住されて、鹿野芸術祭を開催しながらアトリエを構えて制作活動をされていました。
現在は湯梨浜町に移られて、画家として活躍されながら湯梨浜学園の講師も務めていらっしゃり、毎週土曜日にオープンする月夜繪葉書店兼アトリエで店主をされながら制作活動をなされています。
そんな藤田美希子さんに、本日はインタビューさせていただきます。
藤田さん、どうぞよろしくお願いいたします。
藤田
はい、どうぞよろしくお願いします。
出井
藤田さんは、どんな時に絵を描きたくなるのでしょうか?
私は生で藤田さんの絵画作品を観た際に、とても神秘的で心が惹かれていきました。

藤田
私は絵描きとして絵を描いていることが常なので、実は意識したことがなくて。
絵の創作に関しては、私の頭の中には一個のタンスみたいなものがあって、そのタンスの引き出しにちょっとずつアイデアを貯めている、といった感じなのです。
それは、例えば今日だと、この鳥取大学のキャンパスの紅葉がすごく綺麗で、「この黄色ってすごくいいな」と思ったら、頭の中の黄色ボックスみたいなところに、ぽんぽんって入れていくんです。
でも、二、三枚貯まっている程度ではまだまだなので、そのまましばらくは寝かせとくのです。
時を経てそれが十枚、二十枚と貯まって自然と熟成されていったら、その黄色ボックスから引き出しを開け、中身を取り出す、みたいな感じなんです。
私の頭の中にいろんなボックスがいくつもあって、それぞれがいっぱいに貯まった頃に、頭の外に引っ張り出してきて描き始める、といったことを私はよくしていますね。
出井
なるほど、絵を描き始める時は、あらかじめ「これを描こう」というよりは、「これって綺麗だったな」みたいな感じで、無意識層に貯蔵したエッセンスのかけらが時をかけて藤田さんの中で醸成されて、一つの実となって結実した折に、一枚の絵として表され始めるということなんですね。
藤田
そうなんですよね。
最初からアイデアがぽんって浮かぶことは、私にはあまりなくて。

出井
なるほど。
例えば、そのタンスは色で分けられているのですか?
藤田
そうですね、今は色で例えましたけど、例えば「海の中に巨大なクジラがいる風景が気になるな」と思ったら、「巨大なクジラボックス」みたいなインデックスが心の中に生まれていくみたいな。
もちろん、現実世界ではドローイングも行いますし、アイデアをスケッチしていったものも同時に貯まっていくんですけど。
具体的にクジラをスケッチしてみたりとか。
でも、それが作品として世の中に発表されることは稀ですね。
ただ描き溜めたイメージのスケッチがアトリエのどこかに存在していて、ある日その引き出しが頭の中でいっぱいになったら、「なんか、前にクジラを描いてたな私」って思い出し、それらをアトリエの壁に貼り出して、作品として描き始めるみたいな、そんな感じです。
出井
そうなのですね。
こちらに飾ってある絵も藤田さんの版画作品ですが、これはどういう時に制作されたのですか?

藤田
これは先ほどの話からはそれちゃうのですが、実際にこういう風景があって。
留学先としてドイツのライプツィヒっていう街に、以前ちょっとだけ住んでいた時期が私にあって。
ドイツって日曜日には大概のお店が休みとなるので、この移動式の自転車の上に、屋台の付いた移動式コーヒー屋さんが橋の上にやって来るんです。
移動式コーヒー屋さんはいつも行列になって、みんな話しながら待っていて。
だからその街では、日曜日にみんなが橋の上に集まるんですね。
橋の上が歩行者天国みたいになってから、そこで淹れてもらったコーヒーを、みんな座りながら、ただ飲んでおしゃべりしているっていう風景なんです。
これはシルクスクリーンっていう版画の作品なのですけど、その時勉強していた大学には版画の工房があって、そこの機材を使って制作した版画作品なのです。
その街の風景を思い起こす時に、このコーヒー屋さんが結構アイコンみたいな感じで。
自分の中で、この街を離れても思い出す風景だなと思って、版画作品にして残しました。
街のクリスマスマーケットで、この版画作品を販売していたら、この版画作品を観た街の人がみんな、「あそこの橋の上だね」って言ってくれたから、やっぱり街の人にとっても、お馴染みの光景みたいな、そんな場所なんですよ。

出井
わー!素敵ですね。
どうしてこの絵は横長い紙に描かれているんですか?
折りたたみ式の作品を私は初めて見たのですが、これはどういう描き方なんでしょう。
作品ですが、これはどういう時に制作されたのですか?
藤田
そうですね、日本の屏風絵を意識したこともあるのですけど。
普通に観たらまっすぐなんですけど、これは見る位置を変えると縦からも観られるんですよ。
折り畳んでポストカードでも贈れるし、額装しなくても立体的になっているので、こうして自立させてすぐに飾れます。
ドイツの行列って、日本みたいにまっすぐじゃなくて、ぐにょぐにょになってたりするから、それともこれは合ってるなと思って、こんなふうなスタイルにしました。
出井
そうなんですね、本当に素敵です!
沢山のいろんな情景や創作への様々な思惑が重なって、この作品が生まれたのですね。
藤田
そうなんです、ありがとうございます。
出井
絵を描くうえで、上手くいかなかったり、挫折されたりしたことは藤田さんにはありますか?

藤田
留学していたドイツの大学では、求められる絵が全然違っていて。
ドイツの大学の中は特にすごくアカデミックっていうか、外の実生活とちょっとかけ離れた研究分野みたいな感じのところで、私の担当教授は、とってもスパルタ教育でした。
一言で言えば、子弟関係なので「私の方針に君が合わないのなら、日本に帰りなさい」といった方針でした。
私の描く油絵作品は、結構ファンタジックな青をたくさん使うんですけど、「そういう世界観の絵は、今のドイツのアートのマーケットで受け入れられない。そういった綺麗なものばかりじゃなくて、世の中は暴力に満ちているのだから、そういう現実を作品には取り入れなさい」みたいな、そういった指導だったんです。
それまでは、日本である程度、「いいねぇ」って肯定されてきた作風でしたが、突然全く評価されない世界に行って、私の作風は全否定されてしまったんです。
もし学生じゃなくなると、学生ビザを剥奪されてドイツから強制送還になるので、本当に住む場所もなくなる可能性もありました。
「何を描いたらいいのかわからない。ほんと、どうしよう」って思い詰めた経験が、私にとって最初の大きな挫折だったのかもしれません。
ドイツ、そしてヨーロッパには巨大な美術の市場があって、お客さんもいるからこその指導ではあったんですけど、その市場が求める価値観に自分の作風を寄せていくことが、本当に苦痛となっていったんです。
けれどそうした教授の指導に従って悶々とするんじゃなく、逆に自分自身が一番描きたいものを徹底的に描きだしてみようとその時私は思いきったんです。
「周りの人が理解してくれない」じゃなくて、「自分は何をしたいのか」に、フォーカスして迫ろうとしていきました。
その時、ずっと子どもの時から憧れていた大きな絵本イラストのコンクールがイタリアで開催されていたんです。
イラストレーターの登竜門みたいなコンクールですが、そこに自分は応募してみようと思ったんです。
大学の中に留まるんじゃなくて、外の世界で自分を試してみようと思って挑戦しました。
ずっと一番自分の好きな、大学では担当教授から禁止されているファンタジックな画風の作品を描いて出したら、そこで入選してしまったんです。
それからは、絵本の出版が決まったり、様々なオファーが続いていきました。
リスクを背負って自分自身の中の決して譲れない「好き」を突き詰めてやりきった先に、一つの突破口が見つかったんです。
今後も、すぐ突破とはならないかもしれないけど、何よりも自分自身に向かってまず挑んでみるっていうことが大切、そういった気づきをもたらした契機となりましたね。
出井
ありがとうございます。
意に沿わぬ指導の声を振り切り、自分自身の中に広がる感覚を信じてやり切ってみせるって、本当に大変な挑戦だと思いますけど、だからこそのリターンでらっしゃるのですね、本当に素敵です。
そのようにして描かれたご自身の作品や他の人が描いた絵を観ている時は、どのようなお気持ちとなりますか?
藤田
みなさんも好きな音楽とか年齢とともに移り変わると思うんですけど、私も好きな絵画作品はその時々で変わるんですよ、やっぱり美術館とかに通った後なんかに。
私は教会の中に入っていくようなイメージで美術館に入ると、ちょっと日常の雑踏とはかけ離れ、とても心が静かになっていきます。
心がしーんとして、自分と作品が対峙するみたいな感覚になります。
私は特に古い作品が好きなのですが、例えば十五世紀の画家の絵でも、その画家が本当にその絵の前に確実に立っていたから、筆跡とかどんな油を使用したとか、その画家の取り組みや企みが実に生々しく感じられてきます。
直接的には当然わからないけれど、その画家の思いが絵を観ていると伝わってくるような感じが私にはするんです。
十九世紀後半から二十世紀の絵描きで、グランマ・モーゼスっていう、七十歳から絵を描き始めたアメリカのおばあちゃん画家がいるんです。
グランマ・モーゼスの絵を、私が初めて観た時の話です。
モーゼスが百歳の頃に描いた絵が、生でよく観たら、薄くなんですけど虹が二本かかっていて。
それを観たら、私は涙が出てきました。
グランマ・モーゼスは、ずっと農作業をしていて、本当に苦しい時代を生き抜いた人なんですけど、最晩年を迎えたモーゼスが、自分の人生を肯定しその世界の美しさを描きあげたことが、何だかすごく伝わってきて、自分にもよくわかんない感情だったけれど、絵を観ながら涙が込み上げてきたんです。
翻ってですが、自分が描いた絵を私自身が観ても、作品の生みの苦しさを覚えている分、そんな風にはとても自作を観られないといった感じです。
自身の作品をポストカードにしたり、本の形にした後のものなら、ゆっくりと直視することもできるんですけどね。
自身の作品を生で見ると、「ここはちょっと、少しまだ描き足りないかな」とか、作者としてのチェック目線が生まれてくるから、完成された一つのアート作品としては、あまり味わえないって感じなのです。
出井
なるほど、そうなのですね。
藤田さんは画家であるがゆえに、アート三昧の暮らしでらっしゃると思うんですけど、人にとって暮らしの中にアートは必要だと思いますか?
藤田
うーん、その人にとって実用的じゃなかったとしたら、アートは必ずしも要らないんじゃないかなあ。
あ、でもみなさん、家に何かしらのものは飾ってないですか?
例えば推しの写真とかもアートだしね、あれって要するに昔の宗教画みたいなものだと私は思います。
ドイツでも、裕福ではない庶民はインテリアとしての絵画作品を持っていた人は、ほとんどいないんですけど、キリストやマリア様とかの絵や飾りも、ある意味今で言う「推し」のアイコンだったのだろうと私は考えます。
ファインアートっていう括りの中で厳密に定義されてなくても、自分がちょっとでも好きなものだったら、「ちーかわ」なんかもアートだと思うしね。
何でもアートだから、それを暮らしの中に取り入れない人は、多分よっぽどのミニマリストかもしれないって私は感じます。
出井
なるほど、腑に落ちます。
では、私たちが暮らしの中でアート作品を楽しむにはどうしたらいいですか?
私自身の体験から申しますと、特定の物が好きになると、それをとにかく沢山集めこと自体が目的となってしまうところがあって、作品自体をよく観て味わうことに重きをおけなくなってしまうことがあります。
欲しいものを購入する時がピークで、手に入れたことで満足してしまうことがあるんです。
あまり暮らしの中でアート作品を楽しむっていうことが私にはできなくなってしまっている状況なので、今後はどうしたら自分の所有物になったアートに対しても、しっかりと向き合えるのか伺いたいです。
藤田
そうした楽しみが井出さんの中で続かないとしても、私はいいと思いますよ。
所有欲があることは、逆にすごく素敵だなと私は感じます。
コレクションってことですよね、それってその時にしか、もしかした芽生えない感情かもしれない。コレクション欲。
私は現在、中学・高校の美術の授業を担当しているのですが、そこには野球選手のカード集めたりしている男の子とかいるんです。
その時ならではの、どうしても手に入れたいものを懸命に集めていたという思い出って、多分大人になっても忘れないでしょう。
そんなの大人になってしまったら、実家の引き出しの奥にしまわれてしまっているかもしれないけれど。
お正月に帰省して、むかし夢中になって集めた野球カードが机の引き出しを開けたら出てきたりして、「あ!」って思うかもしれないしね。
所有欲だけでも、私は充分に素敵だと思うから、本当に自分の心のままでいいなと思っていて。
冷蔵庫アートって、私は呼んでたりするんですけど。
冷蔵庫に百円ちょっとで買ったポストカードとかずっと貼ってても、それを日々気にも留めずに眺めていたら、その絵のメッセージは、本当にちょっとずつ自分の中に溜まって来ることってあるなあと思っていて。
それも豊かなことだし、「丁寧な暮らし」みたいなのを意識しなくても全然いいって私は思いますよ。

出井
藤田さんご自身では、何か集めたり、欲しいものがあったりはされますか?
藤田
実は今私「石部」に入っていて、石を集めているんです。
「朝練」って呼んでいるんですが、みんなで川辺に行って、自分がいいと感じる石を拾ってきて、集めた石を「石相撲」って言って、それぞれが選んだ「いい石」を、一斉にドンと出して対決するっていう部活をしているんです。
「いい石」は、いま私にとって一番の所有欲の対象ですね。
「石部」では「私、こんないいもの見つけた」みたいな感じで、自分の石を自慢し、仲間内で讃えあうだけっていう感じです。
石も、川原で見つけ出す時は楽しいですが、別に日常的に拾ってきた石を鑑賞しているわけではなくて、普段はボックスに入れていますが、たまに「石相撲」でお披露目されるというだけです。
でも話しながら思ったけど、美術館行った時に展示作品を観ているよりも、ミュージアムショップの方が楽しかったりする時が私にはあって、そこでポストカードを買って、そのポストカードも買った後しばらく忘れていたりすることが多いです。
そしてある日、ポストカードボックスを開けたら、「あ、これ今の気持ちにピッタリあってるな」となって部屋の片隅に飾ったりとか、冷蔵庫に貼ったりして。
その時の気分にマッチした時にだけ、飾って楽しむみたいなことはあります。
出井
とっても素敵です、ありがとうございます。
藤田さんは、豊かに暮らすために心がけていることってありますか?
藤田
それこそ「石部」なんですけど。
あと、友人と一緒に本を作ったり、お話したりとか。
いろんな人と、そうした遊びをするのが楽しくてやってますね。
それと、最近なんだかすごく忙しい日が続いちゃって、もう疲れ果てていたんですけど、ちょうど昨日は休みを取れて、徹底的に領収書整理とか、机のちょっと気になっていたところを綺麗にしたら、すごくこう「は~」って気分が良くなって。
私、片付けが好きなんです。
出井
そうなのですね。
以前、「鹿野の風景によって日常から離れ、自分を見つめられる」「東京での生活は自分を見失うようだった」と藤田さんが仰っている文章が印象に残っています。
独りで何かに没頭したり自然の中で佇んでいたりすることは、人間関係における煩わしさにさらされることもありませんが、まちに暮らしていく上でコミュニティの一員になっていく場合、自分の思いをある程度押し込める必要もありますよね。
誰にも邪魔されたくないと気持ちが強ければ、深く社会にコミットすることは難しく、コミュニティ社会の一員になったら、そこで自分の思いを上手く表現できないと思うことが起こったりもします。
ですが一方で、コミュニティ社会にしっかりと属すことができていることに安心する自分もいます。
独りの時間と共に他者とコミットしている時間、そのどちらにおいても満足していると感じることができたきっかけや、その経緯を教えていただきたいです。
藤田
そうですね、私も出井さんと同じことで、やっぱり悩んでいるのだと思います。
社会で働くと、いろんな人と接するから大変ですよね。
学生さんも、きっと大学の授業で様々なプロジェクトをされて、その都度メンバーも変わると思うし、ディスカッションとかあるから大変だなあって想像します。
もう大変なのは私もね、別に人付き合いが上手という訳じゃないんです。
でも、絵を描いている時って瞑想状態になることがあって、多分それが好きでずっと続いているんです。
だから成果物が、もちろん絵が仕上がって出来上がることは嬉しいんですけど、それを描いている作業時間が一番楽しくて。
画家ってラジオを聞いたり、話しながら絵を描くのが好きな人が、実は案外多いんです。
特に描き込み系の画家さんは、その傾向が強くて。
私は結構、友人とオンラインにして三時間ぐらいずっと話しながら、お互いに作業することやっているんですけど。
今の美術の動向とか、いろんなことを話しながら、でもめちゃめちゃ手は動くんですよね。
脳がどういう回路を使っているかは分からないですけど、ゾーンに入ってかなり集中していて、気づいたら絵が仕上がっているみたいな状態ですね。
だけど口は喋っていて。
独りで絵を描いている時は、やっぱり苦しみもあるんですけど、本当に自分のだけの世界に入っていて、ヨガの先生には「それは多分瞑想状態だね」って言われました。
ランナーズハイみたいになっている状態、マラソン選手が走っていてハイになるみたいな。
それになぞらえ「ペンターズハイ」って、私は呼んでいるんですけど。
いま四十分ぐらい描いてたなと思っても、実際三分も経てなかった時があったり、それは本当に自分のやるべきことというか、一番やりたいことをやっている状態なんだなっていう感覚です。
それを求めて画家はずっと描き続けているんだと、私は思うんです。
けれど、それは社会とは全くかけ離れた洞窟にこもって描いているような世界観だから、そこにずっといると、個展の時とか社交性とかが無くなっていて、来客者と話す場面で全然話せないっていうことも起こります。
だから、あんまり私はそれらを両立できないんですけど。
出井
社交性を発揮しなければいけない場と、自分ひとりで集中しなきゃいけない場とは、暮らしの中で切り分けて作っていく感じなのですか?
それとも、どちらも両立させ、日常の中に混在させているって感じですか?
藤田
私は画家という少し特殊な職業なので、意識してそれを分けるようにはしていて、集中しなきゃいけない時は、アトリエに誰も入らないようにしていますね、人からのお誘いも全部断って。
全くそんな風に思ってないけど、自分の感覚のために今は入ってきてほしくないみたいな、オリンピック競技前のアスリートみたいな状態になっていて。
経験したことはないけど(笑)
でも、今、週に二回だけ中学と高校に教えに行っているので、そこに社会性を担保しているといった感じですね。
あと職員室で学校の先生方とお茶しながら喋るみたいなことを通して、自分の社交性をどこか回復させているみたいな感じがあります。
そうした外の作業と、絵描きの作業とは、自身の中では完全に切り分けていますね。
出井
お誘いを断わるって時は、少し心苦しいと思いませんか?
藤田
でも、仕事だから。
一番正当なお断りの理由っていうか、もうはっきりとね。
誘った方も「あぁ、それは頑張ってね」っておっしゃってくださるので、そこに対しては私に苦しみはないです。
出井
無理して、みんなに属さなきゃいけないっていうよりは、自分やりたいことがあるなら、それはちゃんとやって。
でも他のところでは、人との関わりも大切にするみたいな感じですか?
藤田
そうですね、だから「石部」の部員も左官屋さんとか、みんなフリーランスなので。
普段は独りで仕事をしている方たちが、たまに集まって一緒に石を回収して解散、みたいな感じです。
普段会わない仲間とたまには、みたいなものが社交性かなって思っています。

出井
藤田さん、ありがとうございました。
今のお話を受けて会場の方からも質問を受けたいと思います。
では、お願いします。
松野
アートを仕事にすることって、収入とか不安定だと思うし、大変な勇気がいることだと私は思うのですが、「これでやっていける」というイメージを藤田さんは強くお持ちなのですか。
生計に対して不安になったことなど、藤田さんはございますか?
藤田
はい、それはめちゃめちゃありますよ。
画家って個人事業主なので、必ず毎年確定申告を行うのですけど「これで私、大丈夫?」っていう収入額が、年によってはあるんですよ。
だからまあ、不安は付き物なのです。
私が絵描きになろうって決めたタイミングは、高校に進学する折だったのですね。
最初は地元の、美術の授業が多く取れて自分で選択できる高校に行こうかなって実は思っていたんですけど、その時母に「もう絵の道に行きなよ」って言われて。
母が背中を押してくれたんですよ。
私は、こんな風に今ではみなさんとお喋りもできていますけど、子どもの時には、あんまり人とはコミュニケーションが取れなくって。
足も遅いし、水が怖くてプールも入れないのでスイミングスクールに通わされたりとか、人よりもトレーニングを重ねないと大体のことはこなせなかったんです。
足が遅いことって、幼稚園なんかでは致命的といった感じだった。
人とおしゃべりすることも上手くできなくて、幼稚園の時はずっと泣いていたし、からかわれていました。
ただ、お絵描きって、そうした評価ってないじゃないですか。
幼稚園の時、私の描いた絵を観た母が「すごい!」って必死に褒めてくれて、それで無意識のうちに絵に対して私は自信がついていったのでしょうね。
小学校入っても美術の授業だけは、堂々としていましたもん。
私は人と比べると何もできなかった体験がベースとしてあるので、「私は絵しかできない」みたいな感覚が今もずっとあるんです。
だから、私は数ある候補の中から絵描きを選んだわけじゃなくて、絵描き以外の選択肢がなくなった段階で美術系の高校に入るっていうことは、美術以外の進路がほぼ絶たれた状況だったということなのです。
自分の好きなことをやれることはもちろんいいことなのだろうけど、それって私にとっては他の道が全部断たれて崖の上に一人立たされるみたいなイメージなんです。
高校生の時、自分は美大に入れないと人生後がないなと考えていたので、すごく沢山の課題があったんですけど、とにかく必死になって取り組んで、徹夜でもずっとやるような生活がその頃始まったのです。
結果的には、運よく美術大学に入れたんです。
美大生の時も、四年間死ぬ気でっていうのはちょっと大げさかもしれないですけど、でも本当に四年間という期間で、画家に向かって何かを確立しておかないと、自分は他の世界では生きてはいけないっていう危機意識が強くありました。
今も不安が常にある中で生きているっていう感じですよ。
ただ不安になるから、別の道を選ぶっていう選択肢が私には無かったっていうことなんです。
逆に言うと「不安だから別の道を選ぶ」っていうのは、どちらの道に進んでも、その人は生きていけるってことなので、選択肢を複数持っているという証なんですよね。
それは決して悪いことじゃなくて、私は幸せな状況だと思います。

藤田
美術関係や専門職の友人が私にも何人かいますが、選択肢が他になかったという人がやはり何人かいます。
「他の人と一緒に働くことができない」ってことを中学時代から気づいていたとか、そんな友人たちは自身のポテンシャルをシビアに把握しているんですよね。
私は高校の時、実家のある千葉から東京の学校に通学していたのですが、満員電車に乗ったりすると、途中で貧血起こしちゃっていたんです。
その時に「自分は満員電車には乗れない人間だ」と気づいちゃって。
「いっぺんに大勢の人と関わると、私は辛いんだ」っていうのも大学の学園祭で気づいたんです。
どんどんと自分にはできないことが分かっていったので、「今かろうじて出来る道に対しては死ぬ気であたる」みたいな覚悟がいつしか育まれていったんだと思います。
岡田
ありがとうございます、そうでらっしゃるのですね。
先ほど「何がアートなのか」というお話の中で、その人が美しいと思うものなら絵画以外でもアートだって仰っていましたが、絵を描く以外の趣味や絵画以外で好きなものってあったりしますか?
藤田
最近、学校の授業で陶芸の先生に来てもらって、私もやってみたら土を触るのが面白くて、すごく陶芸にはまりだしました。
生徒たちもすごく楽しそうで、やっぱり土を触るってとてもいいですね。
今、石膏粘土とかで冷蔵庫に貼れるマグネットとか作るのが好きなんですけど、それもそろそろ商品化しようと思うから、仕事になりかけてしまっていて。
純粋な利益を生まない趣味を今、探してます。
コロナの時はウクレレにハマって、みんなでバンド組もうって言ってたんですけど、全然組めてないのでちょっと問題ですね。
岡田
ありがとうございます。
小学生までは土で遊んだりとか、日常的にあったと思うんですけど、考えてみると大学生ってずっと携帯・パソコンをいじってることに気づいたので、土を触りたいなと思いました。
藤田
私もずっと筆ばっかりを持っているので、土を久々に触ったらすごく楽しくて。
きっと本能が求めているんでしょうね。
だから素直に本能に従って、土に触れたり、石拾いをこうして私は楽しんでいるのかもしれません。
大学って、いっぱい良い石ありそうですね(笑)
出井
ほんとですね、ありがとうございます。
では初田さん、お願いします。
初田
先ほど陶芸のお話をされましたが、陶芸を教えてくださった先生、好きな作家や好きな形があれば教えていただきたいです。

藤田
湯梨浜町で活動されている夫婦でのユニット「フベン」が、中学校に授業で来てくれたのですけど、すごく素敵な陶芸作品を作っていらっしゃいます。
「フベン」って、いったい何に使えるかよくわからないものを作っていかれるんです、買った人が自分でその用途をあみだすっていうコンセプトで。
だから便利の逆の「フベン(不便)」っていう名前なんですけど。
釉薬っていう陶器のための絵の具みたいのがあって、描いている絵もすごく素敵だし、自分の家の畑を耕して、お米作って鶏を育てながら制作をされてて。
そういう風景も器に描いていたりしていて、とっても素敵だなと思います。
私も「フベン」作品を家に置いているんですけど、形がボコボコしていて、それを眺めているだけで「それでいいじゃん」って言ってもらえているような感じで、大好きなんです。
初田
頭の中にいろんなイメージとかを描きたいもののイメージを貯めていって、いっぱいに貯まったらアウトプットされて描いていると仰ってましたけど、それは頭の中だけで貯めているのでしょうか。
日常の中で気になったこととか題材にしたいことをメモしたり、画材とか絵を描くに必要なものを集めたりする時にも、絵を描くと時のイメージとかはありますか?
藤田
そうですね。
例えば今日も大学キャンパスの木々が紅葉していて、そこから「黄色が良いな」と感じたら、家に帰ってスケッチブックに一分とかの時間で何かしらのアイデアを描いといて、そうして描いたものを一、二年くらい寝かしとく、みたいな。
そうした自分のアイデアをずっと描き連ねるアイデア帳みたいなのが何冊もあって、言葉も書き連ねておくんです。
当初の自分のイメージってどんなんだったかなって、アイデアが貯まったら、めくってみたりして。
いろんなスケッチブックにアイデアが溜まっていたら、それをスケッチブックから外してアトリエの壁に貼っていくんです。
油絵の本描きみたいなのに入る前に、アイディアのシリーズを二、三枚合わせた絵を描いて、本描きに入るみたいな作業をしたりですね。
だから、アイディアが貯まりながらも、ちょっとずつちょっとずつ本画を描いていきながら、「あ、こういうのを私って描きたかったんだな」って明確なイメージが立ち上がってきたら、これまでに描いてきたアイデアを全部集合させるみたいな感じで絵に取り組んでいきます。
初田
ありがとうございます、もう一つ質問をさせてください。
ずっと多忙だった中で、久しぶりに休みができたから片付けをしたというお話がありました。
私は、自宅の自分の部屋が散らかっていたりしたら、両親に「あなたの今の心の状態を表しているのよ」って指摘されたことがあるのですが、お部屋の状態とかは、「まさに自分の心や頭の中が今、ごちゃごちゃしていることを表しているな」と感じられたことなんてありますか?
藤田
いやあ、本当にそう感じますね、だからそうなる前に部屋を片しちゃうっていうか。
心や頭を整理する方が結構大変だから、部屋を片付けると「あ、すごく綺麗になった」っていう感じがして、心も頭もスッキリします。
ものすごく忙しい芸能人の方が、「どんなに睡眠時間三時間とかでも朝起きたら全部一回掃除する」って言っているのを聴いて、そうすることで心の均衡を保っているんだなと思って。
私自身も忙しくなっちゃうと、部屋とか溜まっちゃうんですけど、掃除すると気持ちもスッキリするっていう感じです。
あと、知り合いの本屋さんが「トイレ掃除すると、すごく良い」って。
自分の家のトイレを綺麗に掃除しすぎたから、自分のお店の向かいにあるローソンのトイレも掃除しだして「それ続けていたら、今年はすごくポジティブいれられる」って言ってらっしゃいました。
部屋が綺麗だと、本当にいい心持ちとなるので、お掃除はおすすめですね。
初田
ありがとうございます。
出井
私からも質問させていただいてもいいですか。
中学校と高校の先生をされていらっしゃいますけど、ドイツに行った時に担当教授から作風を否定されたという体験を受けて、今ご自身が教員として生徒に教えている状態って、ドイツの時の担当教授から影響されている点とかありますか?
それとも、もう自分は自分だなって感じなのでしょうか?

藤田
そうですね、ドイツの担当教授のやり方を日本で私がすると、今の日本社会では完全にアウトみたいな。
ドイツでは大学だったので、平気で人格否定されたりしました。
師弟制度みたいな古いドイツのシステムでそれなので、アーティストが先生になってるから「お前の絵は嫌いだ。顔も見たくない」みたいな。
他のクラスから怒鳴り声聞こえてくるみたいな。
完全に日本だとアウトなので、そうした手法は、私はもちろんしないです。
特にね、中学生や高校生は、まだあの柔らかい時なので、本当にちょっと言った一言で、大学生にとっては、先生の言った言葉はそのまま受け取れることが違う風に受け取っちゃったり、心の傷になっちゃったりっていうのがあるので、そこはすごく気をつけていて、かといって私も全然完璧にはできなくて。
大事にしているのは、子どもたちが「美術って楽しいな」って思える時間を作ることを一番にしています。
出井
ありがとうございます、本当に素敵だなと思います。
学研のアンケートで美術が、小学校の時は一番好きな教科だけど、中高になりにつれて、苦手とか怖いみたいな。
自分は描けないっていう子が増えていくというのを見たのですが、藤田さんが先生だったら絶対楽しいだろうなって思います。
藤田さんから授業を受けたかったなと感じました。
石田
藤田さんは今、鳥取の湯梨浜町に住まわれていますよね。
創作っていうのは、作家が住まう風土とものすごく影響し合うと思うのです。
アーティストがどのまちを選ぶかっていうのは、大きく創作表現に関わってくると思うんですけど、数年前に、鹿野から湯梨浜に越して来られて、藤田さんの画風に何か変化はありましたか?
藤田
はい。
まず画風で言うと、それまでは山に囲まれている鹿野が長かったので、そういう森の中みたいな絵が多かったです。
もっと前は、ドイツだとちょっと黒いような森の絵が多かったのですけど。
湯梨浜の今住んでいるのは海辺なんです。
私のアトリエは東郷池があるところの目の前なので、ずっと水辺なので、水をモチーフとした作品が圧倒的に増えたっていうのがありますね。
やっぱり鳥取を選んで来ているのも、その風景が本当に四季をダイレクトに感じられるっていうか。
私が鹿野に移住してすぐに大雪が降ったのですけど、雪が溶けたら、急に緑が芽吹くっていう光景にすごく自然の力を感じて、それが作品には流れていくので。
自分がそうした風景を絵に多く描くので、やはり影響がありますね。
そして人との繋がりっていう面で言うと、湯梨浜町って、今コミュニティの繋がりがすごく強くて、アーティストやクリエーターがこのまちには本当に多いんです。
先ほどお話した「フベン」のお二人も、鳥取の出身じゃないんですけど、湯梨浜町に移り住んで来られています。
「たみ」というゲストハウスが十三年前ぐらいにできて以降、フリーランスとかいろんなクリエーターの人が移り住んで、カフェを開いたり映画館を作ったりされていて。
「HAKUSEN」というおしゃれなカフェがあるんですけど、その二号店が今私がいるアトリエのちょうど下で、上がアートシネマ等も流すような映画館。その二つに、私のアトリエは挟まれています。
一番下の階には他にも絵描きさんがいたりとかして、物作りをする人がぎゅっと集まってるような施設にたまたま入っているんです。
社交性の話ですけが、基本的にそのアトリエに私はずっと引きこもって描いてるんですけど、アトリエと同じ空間に、ポストカードショップを週一日だけ土曜日に私は開けているんですね。
私がアトリエにこもって描いていると、たまに映画館に来た町の人が下の階の私のアトリエにも訪ねて来られるんです。
あと、映画館の人が今こんな面白い表現活動あるよとか教えてくれたり、さっき言った「石相撲」も上の階で開催されたりもするので。
自分は引きこもっているけど、いろんな表現をしている人がふらっと寄ってくれて、話を交わすことで新しいアイディアが生まれたりもして。
だから自分が外にあまり出ない分、人の交流の場にあるアトリエにずっといるから、人の方から来てくれるみたいな。
イベントも徒歩五分ぐらいのところでよくあるから、行ってみようかなみたいなことも多いです。
そういうコミュニティの在り方は、必然的に自分の作品に影響を与えているかなって感じますね。
石田
変な例え方ですけど、「ムーミン谷」は実存する地図には載ってないけど、世界中の愛好者が本のページを開いて、その谷へと訪ねてきますよね。
藤田さんの作品を観ていると、無意識の深い地層へと誘われるような世界観を持ってらっしゃって、何かそこに訪れて、それぞれの原風景へと帰ってくる巡礼地のような、往還する心持ちを私は覚えていきます。
出井
本日は貴重なお時間をありがとうございました。
藤田さんのお話を伺うことで、聴かれていたみなさんの表情が明るくなったり、私自身も刺激を受けてわくわくする時間でした。
本日は、本当にありがとうございました。
