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ハタチノ
ヴォイス

vol 001

2023.02.22

ハタチノヴォイス:2022 受講生「やまぐち組」相互インタビュー

ハタチノヴォイス:2022 受講生「やまぐち組」相互インタビュー

2023年1月11日と18日の両日、本WEB制作にも携わった鳥取大学「デザインプロジェクト」2022年度受講生12名の相互インタビューを、四つの班ごとに開催しました。

執筆|
鳥取大学デザインプロジェクト2022年度やまぐち組

編集・撮影|
石田陽介

編集補助|
蔵多優美

山口

最初の質問なんですけど、今までアート活動をした経験はありますか?

髙畠

はい、私は絵を描くのが好きで、だから結構絵に関してはずっと描いてきたので、それがアート活動かなと思っています。

西塔

中学校までの美術とか、そういう授業でしかあんまり絵とか描いたことはなくて。
絵とかを描くアート活動に関しては、それぐらいしかなかったですね。

髙畠

山口さんはどうですか。

山口

私は中高で祖母の家で育ったんですけど、祖母に水引細工を教えてもらっていて。
水引細工っていうのは、のし袋とかに巻いてある御祝儀とか、紐のちょうちょ結びみたいになっているもので…。

西塔

あー、あのお年玉袋とかのですか。

山口

そう。
それをアレンジして、アクセサリーとか作って販売したりとか、依頼を受けて使ったりとかをしていたんです。
そんな感じです。
じゃあ、次の質問なんですけど、普段の生活でどんな時につらいと感じますか。

髙畠

私は色んな種類の予定が詰まっている時、つらいと感じて……。
例えば、今日あのレポートとこのレポートしなきゃいけないとかだったらまだ、「息抜きしながら頑張ろう!」ってなるんですけど、レポートしなきゃいけないし、買い出しで鳥取駅まで出なきゃいけないし、オンラインの就活セミナーとかも入ってるみたいに、色んなことが沢山詰まってたら、「あぁ、大変だな」って余裕がなくなって、つらいなって感じます。

西塔

つらいって感じるのは、何かをやり終わった後ですかね、どちらかといえば。
何かやってる時はまだそのことに集中して、ずっとそのことだけ考えればいいんですけど、やり終わった後だと本当にそれで良かったのか、って不安ばっかり募るんで、それがつらく感じますね。

山口

「終わった、やったー!」とかではなくて。

西塔

「終わった、やったー!」は、絶対ないんです。
どこが駄目だったのか、自分で荒探しばっかりするんで…。
まあ、そういうのがダメになる、つらく感じますね。

山口

私はバイトしてるんですけど、バイト先で、お客さんから「料理遅い」とかクレーム来たりとか、自分は悪くないのに理不尽に怒られたりすると、つらいなって思います。

西塔

そういうお客さん、いるんですね、やっぱり。

山口

はい、いますよ。(笑)

一同

(笑)

髙畠

私はバイト先がコールセンターなので、現場の人達に対してのクレームが来るんですよね。
だから、それを聞いてる時は、「申し訳ございませんでした」と言いつつ、「まぁ自分のやったことではないしなぁ」って、比較的平気なんです。
でも逆に理不尽じゃない、本当に自分がやっちゃったこと言われた方が私はめちゃ落ち込んだりするんですよね。
……でも、理不尽なのもやっぱり嫌ですよね。

山口

自分は悪くないのに謝らないといけない時は、「しんどいな」って思うときもありますね。
これにちょっと関係するんですけど、アートのおかげでそういうつらさから救われたとか、悩みを解決できたって感じた経験はありますか?

髙畠

私は、さっき言っていたような、一日のうちに滅茶苦茶色んな種類の予定が入ってるとき、予定をリスト化して進めているんですけど、その最後にあえて「絵を描く」ってのも入れて。
それも「絶対にしていい」ってことにして、「色んなことあって疲れたけど、自分のしたいこともできたな」っていう気持ちに自分をさせています。
気持ちの問題なんですけど、そういう形で、したいときにすぐにできる「絵を描く」っていうアート活動を息抜きにして、救われてはいますね。

西塔

絵画とかとはまたアート作品の種類が違ってくるんですけど、何かやり終わったあとに他のこと考えないようにするために、曲を聴いたりとか、あと漫画とか物語とかそういうものを読んだりして、ずっと没頭したりして、他のこと考えられないようにするっていう感じで、結構それで救われるところはありますね。

山口

やっぱり考えると、つらくなるみたいな?

西塔

余計なこと考えないようにするのが一番いいっていう感じなんで。
やっぱり何かに集中できるから、そういう点では「アート、いいな」って感じです。

山口

私はつらかったり、イライラしたりした時には、音楽を聴くようにしてて。
イライラしてると物に当たる癖があって、その前に自分を抑えるために音楽を聴く。
何だろうな、落ち着けるような音楽を聴いて、イライラした感情を抑えたりとかしてて。
つらかったら明るい曲聴いたりとか、曲を選んで。

髙畠

たしかに……音楽って本当、「気分を滅茶苦茶変えてくれる」ってのは、絶対ありますね。

山口

じゃあ、次の質問です。
自分のウェルビーイングのためにしていることは、何ですか?

髙畠

そうですね、ずっと気持ちが落ち込んでいるってことは、私はあんまりなくて、いつの間にか突然ある日落ち込むことあるんですけど。
だからそういう、蓄積されたものが爆発するとか何か起こった時に、自分のために時間を使えるようにとか目指してますね。
先にやっとかなきゃいけないことは、やっとこうかなみたいな感じで。
つまり、ウェルビーイングのためにしていることは、ウェルビーイングじゃなくなった時にウェルビーイングな状態に戻せるように、という「準備」ですかね。

西塔

とりあえずやっぱり先ほど言った通り、つらく感じるのが何かやり終わったときなので。
昔からネガティブに考えるところが結構あるんで、結構、独り言を増やすようにはしていますね。
自分で何か頭の中で、「もう嫌だ」とかって言った時に、もうそれをそっくり自分で否定するっていうことを心がけて…。
例えば、「もういや、帰りたい」とかって頭の中で言ったとしたら、すぐに意識して「いや絶対帰らない」っていうふうな感じで、自分でずっと独り言で。まあ周りから見たらおかしいですけど、結構自分で自分に向かって自問自答と対話を繰り返してる感じ。

髙畠

考えすぎる時間を作らないみたいな。

西塔

あ、そんな感じですね。
深く過去のこと考えたりとかがまあ、いいのか悪いのかは置いといて、とりあえず一旦区切って終わりにしようとしてるところはありますね。

山口

脳に行く前に、脊髄反射で。

西塔

はい。

山口

私も、イライラの感情が増える前に音楽とかで止める、っていうのはあります。
でも、ウェルビーイングのために自分にしている、幸福のために自身へとしてることって考えたら、結構、雑貨とか集めるのが好きで。
なるべく好きなものに囲まれて生活してると、なんか嫌なことあっても、ふっとみた時に可愛いものあったら、「あ、なんか頑張れるわ」 と思えたり。
あとは食べたいものを我慢しないようにしていて、「いますぐ甘いもん食べたいな」と思ったら、甘いものを食べるようにしてますね。
おいしいもの食べると幸せになるので。
それに関連する質問なんですけど、「今のご自身の現状では、ウェルビーイングを目指せる状態にありますか?」

髙畠

たぶんみんな一年生か二年生だと思うんですけど、私は三年生なので、あとうちの学部は就職がちょっと早いという状況もあって、卒論の目次とか構成をもう作んなくっちゃいけなくて。
今回、その就活のイベントの一次選考が、私の出身の岡山の方でいま 三件入ってるんですよ。
私がさっき言っていた、「いろんな予定を入れないようにしたい」っていうことへの対応が結構遅れてしまっていて。
「履歴書を書くのこの前失敗したので、また書き直さなきゃいけない」とか、「自己PRも作らなきゃ」とか、いま結構いっぱい予定が入ってきてるところだから。
でもまだそれは、一週間後とかが山場なんで。
いま頑張れば、たぶんウェルビーイングを続けられる状況にあるのかもしれない。
だから別にいますぐ差し迫っている訳ではないから、ここからの頑張り次第かなって。
「まあ、ウェルビーイングを目指せる状態なんじゃないかな」っていうところ。

西塔

結論からいうと、「ウェルビーイングを目指せる状態に、いま自分はいない」と思いますね。
今の活動も結局、マイナスからゼロに行くためという感じになっているから。「まだプラスのところには、自分は行けていない」っていうところ。
まあ、これからウェルビーイングを目指せる状態のためには、まあアート活動じゃなくても、なんかもっとプラスしていって、自分からもっと動けるような何かしら動けるようなものを何か一つ作っていきたいなって思っています。

山口

そうですね。
「今日、ウェルビーイングを目指せる状態にあるか」って言われたら、答えは返せるんですけど、「明日、目指せる状態にあるか」って聞かれると分かんないです。
なんか今日は朝からいい感じで来ていて、「あ、今日はいい日だな」みたいな感じなんですけど、なんか悪いことって、なんか波みたいに連続してやってくるじゃないですか。
それが続いた時に、「あ、なんか幸せじゃないな」、「ウェルビーイングじゃないな、できてないな」なんて思う時があります。

髙畠

確かになんか言われてみればそう。
結構、刻みで考えたら…。

山口

そう、「いまは大丈夫。でも明日どうかな」っていうのが実際。
ウェルビーイングって、そんな長く維持するものでもないのかなって。

西塔

明日のことまでも考えたら、何も分かんなくなるから。

山口

次の質問なんですけど、「学校での美術教育は必要だと思いますか?」

髙畠

はい。
皆さんの高校はやっぱり選択ですか?
私は「芸術」の選択肢の中から「音楽」「書道」「美術」とから選べたりしたので「美術」を選んだんですけど、私としては「美術の授業があってよかった」っていうか。
この前、アクリル絵の具を一式を買って、ちょっと絵を描いてるんですけど、絵の具を使うっていう基本的な使い方は全然調べたりしてなくても、中学校とか小学校の頃を思い出して使ってるんですよ。
だから、ちょっと急にやってみたくなったって時に、多少でも基本的なことを最初に授業で学んでいたら、自分の興味がすぐとっつけるのかなと思ってて。
だからそういう意味では、ちっちゃい頃に興味のない子も一応でも体験しておくって機会があるのは良いことなのかな、と思います。

西塔

「高校からは、いらない」って、そんな感じです。

髙畠

そうですね、そうした選択の余地があってもいいのかな。

西塔

高校では選択性だったので、自分は「美術」じゃなくて音楽の方に行ったんですが、やり方を学ぶだけだとしたら、「美術」は小中学校だけでもいいと思う。
「美術の授業は必要か」と問われたならば、何かを描くとか作るっていう場面としては、美術の授業は確かに必要なのかなって思いますね。
自分たちの手で動かして何かを作るとか、まあ挑戦という形になると思うんで、なんか新しいことに試みるという心構えを学ぶところとしていいのかなと思いますね。
中学校のとき美術の授業であったんですけど、何か作品を観てから感想を書くとか、そういう感じのものはあまり必要ないのかなという風に感じます。
言語化の大切さというのは分かるんですけど、感性を育てる教育の課程としては、そうしたことはいらないという感じがしました。

山口

私も、高校まで「芸術選択」があって。
で、私は「美術」の方を選んだんですけど、ちょっとトラウマがあって。
その「美術」の教員が成績を付けるんですけど、絵を見ながら、「これは色使いがなんか薄いよ」とか言われたりして、プライドが高い人が先生だったんで。
なんだかリンゴの描き方にも、その先生には正解があって、「それに近づけよう」みたいなことを言ってる方で。
私は、「“正しい絵の描き方”ってなに!?」みたいな感じで…。
あの、そういう教え方もあるのかもしれないけど、やっぱトラウマになる人もいて。
授業ってなると、「美術」においても、どうしても成績をつけないといけなくなる。
「美術」の授業では、画材とかに触れる機会があって、それは初めて体験として、これからの可能性を広げる分にはいいと思うんですけど、なんか「正しい芸術とは」みたいなのはどうなのかな。
5段階評価で、自分の作った作品が授業において評価をつけられたりすると、それが楽しい体験として生徒に結びつくことができるのかってことが疑問です。

髙畠

それで思い出したのが、中学の「美術」の試験で、左側は問題、右側は白紙で、そこに何かを描くみたいなペーパーテストで、その絵の出来も採点対象に含まれてたんですよ。
あ、なんか確かに評価が「美術」に入ってくると、その楽しさを教えてないというか、ちょっとマイナスな部分があるのかな。
あと、絵を観て感想を書かされるっていうのが、けっこう「音楽」の授業でもそういった感じの課題はなかったですか。

西塔

そうそう、高校生ありました。
楽器を触れる機会もありましたけど、だいたい授業の始めの時に一曲聴かされて、どう感じたのかっていう感想を、少なくとも五行ぐらい書かされていました。

山口

それも成績をつけるための判断基準でみたいな。
「芸術」や「美術」には、成績は作らないでほしい気がする。

髙畠

それが一番いいかも。
「美術」の授業では、私は画材の使い方とかを学べれば、それでいいのかなと思ったし、成績をつけるとか、「描くことに意味を!」みたいな授業は、おかしいとも思う。
成績をつけずに授業だけやってくれたら、バランスもなんか、ちょうどいいな。

西塔

成績のつけ方なんですよね、「美術」の授業の問題はやっぱり。
単に描く技術とか、そういう一面で評価したら差は出るけど。
まあ、授業態度だけで評価というのもどうかと思うけど、先生によりますよね。
そういうふうに本当に意識の高い…。

一同

(笑)

山口

私のところは推薦入学を狙う人も多い学校だったので、「成績が命」っていうところが結構あって、そういうことが強かったのかもしれません。
みなさん、今後はどのようにアートに関わっていきたいですか?

髙畠

そうですね。
それこそ絵に関しては本当にしっかりと続けていきたいなと思っていて。
ちょっと今は本当にバタバタしているんですけど、「 こういう絵を描いてください」みたいな依頼を受けて、定額で絵を描いてっていうことも、まあ、続けていきたいなと思っていて… 。
周りにとっても、そして自分にとっても描きたいと思ったものとか、見たいと思ったものが、「こういう絵を描いて欲しかったんです。ありがとうございます」みたいに言われたら嬉しいんで、やっぱり続けていきたいものだなと思っいます。
あと音楽っていうのも、確かにアートだなと思う。
私は、音楽は聴くだけの側にいるから、全くそういった意味で義務感とかがない。
これからもずっと聴き続けていくと思うから、音楽は寄り所にしたい。
まあ、今後の自分の人生において、音楽とか絵とかがなくなるってことはないと思っているので、頼りにしたいという感じです。

西塔

アート活動だと基本は自分が描く側じゃなくて観る専で、いろんなものみたりしてる感じなんですよ。
今後も何か絵画とかそういう感じにしっかりとした絵を描くことはないでしょうけど、多分何か作ることはあるんだろうなと思います。
デザインのためのラフ画っていうか、下書きみたいな感じのものを描いていくと思うんで、まあそういう点では、アート活動として、そういう描き方とかを提案していくかとはと思いますけど…。
音楽とかも、まあ、それも結局は「聴く」ということですよ。
自分で「何かを作る」っていうアート活動には、実はそれが含まれると思うんで。
そういうことは意識して、気にしていこうかなっていうところがありますね。

山口

私は、今後また水引きを再開しようかなって思っています。
しばらく受験とかもあってやってなくて、本格的にちゃんとサイトを開設して、水引きのアクセサリーを販売してみようかなって思ってます。

やまぐち組

鳥取大学デザインプロジェクト2022年度受講生

やまぐち組メンバー:髙畠宏架、山口楓、西塔亮之介