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ハタチノ
ヴォイス

vol 005

2024.02.06

ハタチノヴォイス:2023 受講生「わろん組」相互インタビュー

ハタチノヴォイス:2023 受講生「わろん組」相互インタビュー

2023年12月13日と2024年1月17日の両日、本WEB制作にも携わった鳥取大学「アートプロジェクト」2023年度受講生8名の相互インタビューを、三つの班ごとに開催しました。

執筆|
鳥取大学アートプロジェクト2023年度わろん組

編集・撮影|
石田陽介

編集補助|
蔵多優美

関口

今まで、どんなアートに触れ合ってきましたか。

平松

私は漫画『ワンピース』が好きで。
もうすごく面白い漫画です。

関口

漫画ってアートですかね。

平松

アートじゃないでしょうか、芸術みたいな。
漫画というジャンルが、もし駄目だったらロックでスリーピースバンドの「back number」とかが好きです。

関口

なんか漫画がアートって言われると、分かる気持ちもあるけど。
なんというか、アートとそれ以外のメディアの違いって何だろうなっていうことを考えたりする時があって。
どちらかというと個人的に、自分の中での引き出しでは、アートっていうのは絵だったり写真だったり、文字になってない部分でものを表現してるものとか、伝わってくるものとか、音楽とかも歌詞にして言葉にしているよりは、ジャズとかクラシックみたいに言葉を使わないものがアートなのかなとも思っていて。
文字で説明したり、セリフだったりで補完されていると、なんとなくメディアっていう言い方の方がしっくりくるなと思う時があります。

平松

じゃあ「back number」も駄目ですね(笑)。

関口

いや、個人的な分け方なんで、多分はっきりと決まってないです。
なんで『ワンピース』もアートだとは思います。
じゃあ、平松さんは、アートとそうじゃないものをどう分けてますか。

平松

気持ちが動かされるものがアートだと、私は思っています。
あ、でもそうしたらテレビとかもアートになるのか。

関口

それは考えたことはなかった。

平松

そうやって言われてみると、料理とかも食べて美味しいって感動するから、アートなんじゃないですか。

関口

確かに、アートの定義って難しいですね。

平松

関口さんはどんなアートに触れてきたのですか。

関口

普段から割と美術館や博物館にはいきますね。
11月半ばぐらいに、「2023関西文化の日」っていうのをやっていたので、ちょうどギャラリーコンパ開催の時に、そのビラを見つけたんです。
関西圏の美術館博物館が全部その日だけで入場無料になるっていうイベントで。

平松

すごい。

関口

本当は近畿とか遠くにも行ってみたかったなと思ったんですけど、近くで済まそうと思って。
米子とか倉吉の方に行きました。
なのでまあ、美術館は好きなんですけど、ちょっとお金もないので、そういう時にわーっと行くぐらいです。
なかなか日常的に通ったりはできないけど、お金と時間があったら観て回ったり通ったりしたいくらいには好きです。

平松

それはどういうところが好きなのですか。

関口

たくさん絵が飾ってあることが好きなんですよね。
絵がいっぱいあって面白いなあって、ただそれだけで。(笑)
気に入ったものがあったら、製法とか作者とかは見たりしますね。
この間いった米子市美術館では、版画の展示をしていたのですけど、「この有名な絵って、版画だったんだ!」っていう発見とかも面白いです。

平松

うんうん。

関口

あと文字が入ったものなので、アートとして括ると、さっきの話と矛盾しちゃうんですけど、子どものころから絵本が好きで、今でも結構好きなんです。

平松

『ぐりとぐら』とか?

関口

それももちろん好きです。
結構なんでも好きですね。
一番は、かこさとしっていう絵本作家の『カラスのパンやさん』とか、『だるまちゃんと天狗ちゃん』とか。
多分知ってる人もいると思うんですけど、ああいうのが結構好きです、今でも。

平松

なんでですか。

関口

えっ、…うーん、なんでなんだろう。
「なんでって?」って問われると難しいなあ。
じゃあ、平松さんは『ワンピース』がなんで好きですか。
ちゃんと言えます?

平松

ちゃんと言えますよ、言ってもいいですか。

関口

どうぞ。

平松

私が『ワンピース』で一番泣けるシーンが、チョッパーの過去の話なんです。
チョッパーが傷だらけになって、師匠の病気を治す薬を採ってくるんですけど、実はその薬は猛毒で。
でも師匠は猛毒だってことを知っていながら自分で飲んだんです。
それは弟子であるチョッパーの優しさを無碍にしないためについた、師匠の優しい嘘だったんです。
私はこのシーンから、人は人のために体を張って頑張れるんだってことと、優しい嘘はつくべきだということを学べました。

関口

じゃあ漫画『ワンピース』は、平松さんにとっての教科書というか…。

平松

はい、人生の教科書ですね。
関口さんが絵本を好きな理由も教えてください。

関口

はい。
今、『ワンピース』のお話を伺っている間に色々と考えました。
やっぱり、子どもの頃は単純に読んで面白いから好きだったんですけど、今大人になって改めて開いてみると、子どもが「これ面白いな」って思ったり、食いつくような仕掛けがちゃんとされているなって、大人になってから気づかされました。
あ、これはこういう仕組みなんだってわかったというか。
例えば、『カラスのパンやさん』だと、カラスがパン屋さんをするという絵本なんですけど、見開きでいろんな種類のパンがもう何十個もバーっと並べられているページがあるんですよ。
子どもって、そうした図鑑みたいなものだったり、いろいろ並んでいるものが、とっても好きじゃないですか。
僕が子ども時分に、まさにそうだったし。

平松

確かに。

関口

それで言うと『かいけつゾロリ』とか読んだことあると思うんですけど、あれも一冊に一つは、「ゾロリのお母さんの絵がどこかに隠れてる」とか「背景が迷路になっている」と表紙を開くとゾロリの発明した道具の図鑑があったり。
そういう仕掛けが、本当に子どもを飽きさせないというか。
絵本とかって、やっぱり大人が作るとき、子どもにこうやって読んでほしいなっていう気持ちが入っちゃって、説教臭くなると思うんです。
読み続けられている絵本や児童書って、子どもが飽きないように最後まで面白く読めて、その上で教訓じゃないけど、伝えたいことも伝えるバランスがいいよなあと思って。
それで、私は絵本が好きなのかもしれないです。

平松

なるほど、ちょっと分かってきました。
子どもに難しい言葉通じないから、簡単な言葉で大事なことを、面白く伝えられるっていうのが良いですね。
私は小説も好きで。
ちょっと忙しくて今まであんまり読めてなかったんですけど、最近また読み始めて。
小説ってなんかいいなって思いませんか。
自分じゃない人生を、小説を通して体験できるっていうのが、私は好きで。
本当にその小説の登場人物になったみたいにな感じで読み進めることができることが、すごく好きなので。
例えば、なにか悩みとかがあった時に小説を読んでいるとして、例えばその主人公が、はちゃめちゃな感じの人だったら、現実の自分もちょっと大胆になって、主人公に倣って自身の悩みを軽く見られるようになるっていうことも実際にあったので。
小説にはそうした、ちょっとした勇気をもらってます。

関口

なるほど。

話をアートプロジェクトに戻して、我々わろん組がトットリハァートの取材記事執筆を担当した「ギャラリーコンパ@鳥取県立博物館2023」を振り返ってみますか。
「ギャラリーコンパ」を通して、自分の中で変わったなと思うこととかありますか。

平松

私たちは取材班だったから、なんかいろんなグループにつかず離れずで、全員のお話を聞けなかったじゃないですか。
でもそのかわりにそれぞれのグループの様子を見ることができて。
それらを通して私が感じたのは、目が見える人も見えない人も、同じであるってこと。
まあ矛盾するようなのですが、参加者の方々の社会背景も、知ってることとかも一人一人違うし、もちろん一つの作品を観ていても感じ取ることはそれぞれ全然違う。
それをちゃんと皆が言い合えるっていう空間が、よかったです。
自分の意見を人の意見に被せてもいい、自由な雰囲気も良かったですね。
それと、目が見えない人を一括りにするのではなくて、その目が見えない人中でも、自分がどうしてほしいとかも一人一人違うし、困っていることとか全部違うから、目が見えない人にはこうやって対応をしたらいいって決めつけるんじゃなくて、ちゃんと対話を通しながら、どうするべきかっていうのを各自それぞれが考えたりて、その人なりの手助けを探るのがいいのだろうなって。
そんなふうに考えられるようになったのが、私の変わったことだなと思います。
関口さんはどうでしたか。

関口

はい。
本当に当日集まって、みんな初対面の人達同士だからできたことなのかなって、今聞いていて思いました。
例えば、仲のいい友達と一緒に行って、同じことをした時に、「ギャラリーコンパ」のようにはならないと思うんですよね。
なんとなく他人の意見に合わせたり近づけてしまうというか。
だから初対面で、なんでも言ってもいいっていう前提があったからこそできたことだと考えると、新鮮というか、普段の生活の中だとやろうとしてもできないことなのかなって思いました。
僕が「ギャラリーコンパ」を通して一番考え方が変わったと思ったのは、アートの価値の共有です。
絵をみんなで観て、共有するっていうのが面白いなって。
たとえば、ピカソの絵があったとして、みんなが共有している価値っていうのは、知識のある人同士だったら、変わるんですけど、まあ普通の人からしたら、基本的に共有できる価値って値段と知名度だと思うんですよ。
でもギャラリーコンパでは、みんなで色々話すことで、その作品の細部まですり合わせていって、一つの作品を値段や知名度いがいのところで共有できていたんじゃないかと思うんです。
目が見えている人も見えていない人も同じ作品を共有できたというか、もちろん個人個人の差はあるんですけど、最終的に同じ絵としてみんなの中で共有するっていうのがちょっとすごいことだなって思いました。
「そういう共有の仕方もあるんだ!」というか、作品の値段とか作者の有名さとかではないところで、アートっていうものの価値を共有できる方法の一つなんだなって思って、それが僕が一番変わったことかなと思います。
何か、そういうことができる機会がもっと増えたらいいよね。

平松

なんかいいですよね。

関口

だからなんか、美術館ってもっと喋った方が楽しいかなっていう風に思って。
いつからなんだろうね、美術館が静かにしなくちゃいけない場所になったのって。

平松

やっぱり静かに見たい人がいるってことでなんでしょうか。
美術館に来る人はみんそうしたいのかな?
でも、それはなぜなのかなあ?
それがなぜなのかっていうのも気になったりします。

関口

たしかに。

平松

もう、図書館みたいな感じなんじゃないですか。
図書館では静かにっていうのは分かるじゃないですか。
みんな本を読んでる空間だし、読書は静かじゃないと集中できないから。
美術鑑賞もそれと同じで、集中できない人がいるのかなって。

関口

まあ、確かに一人で美術館や博物館に来ていたとして、隣で「ギャラリーコンパ」をやってたら、気になって集中できないっていうはあるでしょうね。
「この人たちはいったい何をやってるの?」って。(笑)

平松

それでいうと、米子でやったときには一般の方が、突然飛び入り参加されていましたね。

関口

すごいな。
それと、「ギャラリーコンパ」では視覚障がい者の人がいたからこそ、晴眼者の皆さんは作品を伝えるために皆、言葉がたくさん出てきたと思うんです。
晴眼者だけだったら、もうちょっとなんかモニョっとした空気が流れて、言いたいことが言いにくいというか、そういう部分はあると思うんです。
そう考えると視覚障がい者の方がお一人いてくださるだけで、鑑賞がすごく変わるなって。そこが面白いなあと感じました。

平松

視覚障がい者の方が、「ギャラリーコンパ」のグループの中心でしたもんね。
一番、饒舌でした。

関口

本当に、そうでしたよね。
それでは、ここでガラッと話題を変えますが、平松さんが今までの人生で一番嬉しかったことってなんでしたでしょうか。

平松

人生で嬉しかったこと?
ちょっと考えていたんですけど、忘れました。(笑)

関口

じゃ苦しかったこと、辛かったことは。

平松

苦しかったことは、本当にたくさんあって。

関口

うん、そっちの方が覚えていますよね。(笑)

平松

そう、なんか、どっちかを取らなきゃいけないっていう状況が本当には嫌いなんですよ。
なんかよく、漫画とかアニメとかだったら、どっちかを取るってなったら両方取ればいいだろうみたいなことが、言われがちですけど、そんなことはもう現実では不可能だと思って。どっちかを取ったらどっちかを失うのは必然で。
今までもそういう状況になった時が一番辛かったし、多分今後も起こるだろうなって。
そうした時には、「私、どうすればいいんだろう」っていつも考えています。
今もなんですけど、そうした場合にはどうするべきなんでしょうか。

関口

僕はそういう時は、一旦どっちかを捨てちゃいますね。
また後で拾えるかなと思って。
今捨てたら二度と手に入らないと思っても、意外と後から回収できるんじゃないかなと。

平松

もうぱっと決めてるんですか。

関口

どっちにしようって迷っている時間が、僕は一番嫌いなんで。
結局は、「今がそんなに辛くなければいいかな」って思っています。
悪いことがあっても、それが無ければ無かった時間とか友達とか、その分あると思うんです。

平松

なるほどいいかもしれないですね。

関口

嬉しかったことは?
やっぱり大学に合格した時とか?

平松

大学合格ということで言いますと、一番ではないけれど嬉しかったことがあって。
私が志望校決めたときに、学校の先生とか友達とかは、この大学はやめといた方がいいよ、もうちょっと違う大学にしなよって言ってきたんですよ。
でも私はここに行きたい、鳥取大学に行きたいって言ったら、お母さんとかお父さんだけは、好きなようにしたらいいよって言ってくれて。
やっぱ親だなって。
それは嬉しかった。
一番じゃないですけどね。(笑)
関口さんは、一番嬉しかったことはありましたか?

関口

僕も大学合格っていうと、逆というか、鳥取大学以外に来れるとこが無かったんです。私大が全部落ちて。
誰でも入れるって言われていたような大学にも落ちちゃって。
それでもう親も先生も完全に諦めムードで。
「これはもう、予備校か就職かなぁ…」みたいな感じの空気がその時には漂っていて。
でもそのタイミングで、鳥大に合格できて。
その時はなんか嬉しいっていうより自分も周りもビックリしちゃって。
なんか嬉しいとは違う感じですね。

平松

一番嬉しかったことって、やっぱり特定は難しいですね。

関口

じゃあ生活の中ではどうですか。

平松

生活していて嬉しいことって、私はやっぱり美味しいに出会った時…いや、何もやることがなくなった時ですね。
いろいろ予定じゃないけど、レポートの提出とか詰まってる時に全部終わったときとか。
だから一番辛いことと、一番嬉しいことが、合わさっているんですよ。
家事とかも、一番辛いことは家事をやることで、一応嬉しいことは家事が終わってること。
だから今は、辛いことに踏み出せない状況です。

関口

でも多分、そういう人の方がいいのかな。

平松

何がいいのですか?

関口

部屋が綺麗になっても嬉しくないタイプなので。
別に綺麗でも汚くてもいいっていう感じでいると、そっち側の人になれないのです。
例えば料理して食べて、そこでもう一番嬉しくなっちゃうんですね。
作ったり食べたりするのが僕は一番嬉しいので、そこで終わっちゃって。
片付けが嫌じゃないですか?
先に嬉しいことが来ちゃってるので。
別に片付けて綺麗になっても、料理や食事の嬉しさが僕の中では超えてこない。
最近は大丈夫なんですけど、二年ぐらい前とかはそのせいで、凄いゴミ屋敷になったりしてて、やりたいことだけやって、もう後ぐちゃぐちゃみたいな、そうことの積み重ねで、今こういう状況になってるのだと思うんですけど。(笑)

平松

やっぱ部屋が汚いとダメですね。
私も本当に部屋のせいでもうやっていけないみたいなところもあるし。
乗り越えないと次は進めない、幸せな気持ちになれないんですよね。

関口

やっぱり部屋の掃除をすることが幸せに近づくんですね。
辛いんですけどね。
その片付けが僕は一番辛いけど、それを乗り越えないと、やっぱり未来はない。
ていうことで、ちょうどいい感じにまとまりました。

平松

あ、これ最後大丈夫ですか?

関口

まとまったんで、大丈夫ですよ。

平松

いや、部屋の片付けでいいんですか?
アートプロジェクトの話題なのに、部屋の片付けの話で。

関口

部屋の片付けも、アートかもしれませんね。

わろん組

鳥取大学アートプロジェクト2023年度受講生

わろん組メンバー:関口論、平松和奏