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vol 001

2023.02.01

ひやまちさと インタビュー

ひやまちさと インタビュー

2022年11月9日(水曜日)、鳥取県若桜町在住のイラストレーターとして活躍される、ひやまちさとさんを、鳥取大学コミュニティ・デザイン・ラボ(CDL)にお迎えして、インタビューを開催しました。

執筆|
鳥取大学デザインプロジェクト2022年度やまぐち組

編集|
石田陽介

編集補助・撮影|
蔵多優美

石田

まず、自己紹介をしていただこうと思っております。お願いします。

ひやま

今日は朝からケーキを八本も焼いて、化粧もしないままで、リップクリームも塗らないままここに来ました。
今、つま先見たら、畑に行っていたものだから、泥がついていて申し訳ない(笑)
ひやまです、よろしくお願いします。

一同

(拍手)

ひやま

ありがとうございます。
自己紹介ということだったんですが。
私、鳥取市の鹿野町というところで十代を長く過ごしまして。
その前も鳥取の市内の方を転々転々といて、この大学の近くにある県立鳥取湖陵高等学校っていうところを卒業し、そのあと京都のデザイン学校に進んで。
専門学校卒業し、大阪のデザインの事務所に三ヶ月勤めて、そのあとすぐにアルバイトしながらフリーのイラストレーターとしてやって、そして五、六年そんな感じでいたのかな。
二十代そんな感じで過ごして、途中結婚とかしたり、ベトナムに行ったりして。
三十代になってから鳥取の方に戻ってきて、子どもを育てながら「ギャラリーカフェふく」っていう店やってるものなんですけど。
これといって、これです私!みたいなのあんまりないタイプの人で。
最近「少数多品目」っていうの、自分に当てはまるなって思ったところです。
このところ興味があるのが、農業ですね。
よろしくお願いします。

石田

それではですね、学生の皆でつくった質問を、その代表者である学生インタビュアーより訊いて頂きます。

山口

インタビュアーの山口楓です。

ひやま

楓さん。
はい、よろしくお願いします。

山口

先ほど「ギャラリーカフェふく」を経営されてるってお聞きしたのですが、オープンした経緯と理由について教えて下さい。

ひやま

最初、2018年に若桜町に、移住してきたと思います。
そこから築百年ぐらいの古民家を一年ぐらいかけて直して、店舗部分を作ったんです。
なんで店舗部分作ろうって思ったかっていうと、本業はイラストレーターなので、そんなに人とお会いすることはなくて、独りでもくもくとしてる感じなんですけど。
でも新しい土地に来たし、こう地域と接する窓みたいなのを開きたいなって思った時に、「カフェかな」って思って。
でも「普通のカフェやるのは、ちょっとなあ」と思って。
私が今までイラストとかデザインとか美術の仕事に関わってきたので、その関係性…、作家さんとか、そういう人達と繋がりながらできるカフェにしようということで、「ギャラリーカフェふく」っていうのをつくりました。
そのとき、まだ子どもが二歳。
うちの夫というのがフリーランスで、結構自由な人なので、一緒に都会から地方に田舎にやってきてのんびり田舎生活してくれるかなと思ったら、全然そんなことなくて。
「ちょっと一年、大阪の学校に行ってきます」みたいな。
「私、ここで二歳児と二人!?」と思って。
それで友達に相談したんですよ。
こんな状況になりそうだって言ったら、「一緒に住んであげようか」って言ってくれた人がいて。
その人が、ひと月の半分、大阪から若桜に来て、うちに住んで、うちのお店で飲食店をやってくれたんです。
なので、私は飲食店をバリバリそこでしようと思ったじゃなくて。
コーヒー出せたらいいかな、ぐらいで思ってたんだけど。
チョ〜料理できるその人が来ちゃったものだから、最初、結構しっかりめに飲食店として町で認知されて。
ランチも出して、夜貸し切りとかもあったりして…。
そんな感じで、ひと月のうち半分その人がいて、もう半分を一緒に時々仕事をしているコーヒーを入れてるお兄さんがいたんですけど。
その二人のいない時には私がちょっとコーヒーを入れる、みたいなスタイルで始まったのが2019年。
そんな経緯で、すごくドタバタしながら。
普通はお店作りって、コンセプトとか大事なんですけど、そんな感じの始まりでした。

山口

そのギャラリーカフェに「ふく」という名前をつけた理由を教えて頂けますか。

ひやま

その築百年経っていた建物っていうのが、もともと福田さんっていう方のお家だったんですね。
福田さんは戦後すぐぐらいにそこで飲食店をされていて、「お料理ふくた」「酒魚ふくた」みたいなマッチやお箸の袋とかがあったので。
そういう「お店やってた後」みたいなのがちょろちょろ出てきた。
最初は二つほど店名候補があって、どっちしようかなと思った時に、鳥取で活躍されている三宅さんというデザイナーさんが、「ひやまさんは、土地と仲良くなるような感じの人だから、その土地から名前もらったらいいんじゃない」みたいなこと言ってもらえて、それで「ふく」になりました。

山口

そうだったのですね、ありがとうございます。
次に、イラストを書く時に、鳥取のような自然が豊かなところでは、他の土地に比べてインスピレーションを受けやすかったりしますか?

ひやま

「イラストを描く人」っていうのが、鳥取だと「絵を描く人」「アーティスト」みたいに認知されてることが多いと思うんですけど…。
私の中では「イラストレーター」って、商業的な役割で言うと、例えば雑誌のコラムの中のイラストっていう「カットを描く人」っていう感じなんですよ。
だから「大自然を見て、素晴らしい映画や音楽を聴いて、そういった環境でこんな絵を描きました」っていうタイプじゃなくて。
どこに自分がいても、どこで暮らしてても、それを自分の中を一回通してアウトプットする方法がイラストなだけなので。
もちろん周りの自然なんかから受けるものは、当然たくさんあるんですよ。
面白いなと思ったのは、この自然の中にいればいるほど、ここにいればいるほど、表現なんかしたくなくなるんですよ。
というのは、人間が作り出すものよりも、圧倒的にそっちの方が面白くって。
自然のほうが。
毎日ずっと水が流れてるんですけど、水が流れていることとか、土がふかふかしてることとか。
朝は、山の中から雲が生まれてくるんですよ、水蒸気によって朝日とともに。
「あ、雲、あそこから生まれてる!」みたいな。
でも、もちろんそれを私は絵にすることはできるんだけど、なんか敵わなすぎて。
毎日こんなに美しいものばかりに囲まれてて。
「もう私、何もしなくていいかもしれない」って最近は思っています(笑)

ひやまちさとさん

山口

海外生活を経験されているそうなのですが、この経験はひやまさんの作品や考え方にどのような影響を与えましたか。

ひやま

私がベトナムにいたのは、一年なんですけど。
そこに行った理由っていうのは、私の夫が「結婚しよう」って言った三日後ぐらいに、「ちょっと一年ベトナムに行きます」って言ったからなんですよ!

一同

(笑)

ひやま

「どこ〜!?」と思って。
私、それまで海外行ったことなかったし、日本が好きだから「パスポート持ってないし!」「どこでどう暮らすの?」みたいな感じになって。
で、夫は結婚式の一ヶ月後に「じゃ、行ってきます」ってベトナムに行っちゃったんですよね。
私、「えーっ」と思って。
とりあえず「私も行ってみるか…」みたいな感じで、日本の仕事を落ち着かせてから行ったんですけど。
今となったら「人生の中で一度は日本を出て、海外で暮らした方が絶対いい」って思うもんね。
ベトナムの首都ハノイってとこにいたんですけど、平均年齢がすごく若いんです。
いま鳥取、しかも若桜町にいると、私と同い年くらいの人は多分二十人ぐらいしかいないし、今年生まれた子どもは三人しかいないし。
圧倒的に私が普段コミュニケーション取っている相手は、先輩方なんですよね。
七十歳オーバーぐらい。
六十代までまだ働いていて、皆昼間いないから、昼間、まちで会うの七十歳ぐらいなんですけど。
ベトナムは、国自体のエネルギーが若いんですよ、すっごく。
そんな中で暮らしてると、言い表せないようなエネルギーがあって、「何かに似てる!これ何だろう?」と思ったら、それは多分“江戸”なのかな。

一同

(笑)

山口

え、江戸?

ひやま

江戸時代の江戸のまちとか、戦後の東京とかかなぁと思うんです。
ベトナムという国では、ベトナム戦争っていうのがあったんで、ガンッと人が減った後に、バンッと増えた姿だったんですけどね。
「今、国づくりをしてる」っていうそのエネルギーが、経済も社会も停滞してどん詰まりになっている日本から行くと、すっごい面白いんですよ。
「こんなことになってるんだ、世界は… 」って思うんですよね。
こうして日本にいると、生きているかどうかも、だんだん分からなくなりながら皆暮らしていると思えてくるんですけど、ベトナムでは「生きていく」っていうことが前提として、まずは必要で。
私が行った当時のベトナムでは、もっと人間の原始的な欲求があって、それに生活があるわけですよね。
だから市場に行けば、籠に鶏が入ってて、おばちゃんに鶏が欲しいったら、その場でそれを毟ってみたいな感じ。
あとカエルとか、いろいろ食べるんですけど、すごく食文化も豊かでね。
すごく豊かかっていうと、まだやっぱり貧しくって、みんなが。
だからこそ、すごく人を大事にする、そんな国でした。
そこで得たものはすっごく大きくって。
生活が面白かった。
なんだか「もう一回、生き直した気分になった」っていう部分があった。
一方で、ベトナムではアパートの家賃の中にサービス料ってのが含まれていて、ハウスキーパーさんが二日おきに掃除をしてくれて、洗濯もしてくれて、頼めば調理もしてくれるっていうのがついてきたんですけど、「私、ここにいて何したらいいの…」って気持ちになった。
結婚して一ヶ月だったから、一応思うわけですよ(笑)
で、その時に思ったのは、日本では当たり前のように、女性が結婚して担っている家事っていうのはやっぱり労働であって、それには対価が発生するんだ、っていう考え方が自分の中に根付いたんです。
だから申し訳ないけど、もともとベースが違うので私と夫の収入格差ってのはものすごいあるんですが、「ここで私が、こんなにせっせと家事をするのは違うな」みたいな。
女性として自分が生きてきたからあった、もやもやみたいなことが少しずつそこから可視化されて。
また、それを自分の中に取り入れて考えたことを表現に繋げたっていうことがありました。

山口

ありがとうございます。
ひやまさんのホームページの上部にある「あおいろとあかいろ」っていうイラストについてですが、どうして青と赤を選ばれたのでしょうか?

ひやま

「あおいろとあかいろ」っていう個展を開きました。
その時に「あおいろ」と「あかいろ」っていう本をそれぞれ作ったんです。
青色っていうのは子どもを出産する前の私。
赤色っていうのは、子どもがお腹に宿って出産してからの私っていうので、出産・育児っていうのがあまりにも大きな経験だったので、自分の中で一回そこを整理しとこうかなと思って分けました。
青色の作品集に入っているのは、まだ私が一人で、自由に時間を100%自分に使っていた時の作品と言葉です。
その後、赤色は子どもがお腹にいた時のことから、つい最近のことまでを。
気持ちとしては、子どもの三歳の誕生日プレゼントみたいな気持ちで作ったんだと思う。
あと、ピカソに「青の時代」って呼ばれてる作品群があって、それがすごく好きだった。
そこからアイデアをもらったっていうのもあるんです。

山口

ひやまさんが書かれたシベリア鉄道のお話を読んだのですが、「旅が好きな方だな」と感じさせられました。
旅をすることによって、お仕事への影響はあるのでしょうか。

ひやま

そう、すっごい誤解されるんですよ、「旅が好きでしょう」って。
めっちゃ言われるんだけど、私は車酔いと乗り物酔いがすっごい激しくて、もう1ミリも若桜町から出たくない。
家の中、あるいは自転車で行ける範囲が一番幸せなんですけど。
その件の夫がですね、一ヶ月休みが取れそうだとソワソワしてるんですよ。
どこか行きたそうな感じがしてて。
一応聞くわけですよね。
「どこ行きたい?」みたいな。
できれば私は車や飛行機には乗りたくない、しかも一歳の子どもがいるから、「この子を連れて一ヶ月間海外旅行に行くとか、ちょっと馬鹿じゃない!?」とか思いながら。
安全に運んでもらえる方向でって考えた時に、私の中では鉄道だったんです。
「鉄道で運んでもらえたらいい」って夫に言った。
世界の中で鉄道でそんな感じで行ける所って、マレー鉄道かシベリア鉄道なんです。
マレー鉄道は、ちょっと短いんですね、一ヶ月間の旅に行くには。
それから、私はそんなに暑いとこ好きじゃない。
寒い地域の方が、寒さに対応もできるだろうし、暖房設備もある、っていうのが私の頭の中にあったので、「シベリア鉄道にしよう」と。
しかも「できるだけ飛行機には、私は乗りたくない」と。
だから三年前の当時は、境港からウラジオストックまで船で行けたんですよね。
私の中で旅に行くとすれば「そこで暮らしがつくれるのか」。
一ヶ月かけて、本当大変ですよ。
一歳だから離乳食を準備しながら、それを子どもに与えながら、観光なんかできっこないじゃないですか?
だから、生活のリズムを考えて、シベリア鉄道の旅になったっていうのが正しい。
どこに行ってもそうなんですよ、ベトナムでも。
で、もちろん行くからには、こんなに移動が嫌な私が、遠くまで来たからには個展をする!
というのは、いつも自分のモチベーションにはあって。
最初に、予め展示会のボリュームと描く絵の枚数と、文章どれぐらい必要かっていう要素を頭に入れてから旅行に行きます。
それらを抑えに行くからこそ、旅に出れるっていうか。
そんなに大冒険は求めてないんですね。

山口

アート作品は、旅から戻られてから作られるのですか。

ひやま

大体その場でスケッチをしたり…。
でもね、シベリア鉄道に乗りながらスケッチするって、ゆっくり走ってはくれるんだけど、車窓の景色を見るのでずっと動いていくわけなんで。
その中で、「なぜあそこに狐が走っている」とか、「あのおばあさんは、あそこで何をしてるの?」とか、「あ、ロシアの人って本当に川でスケートするんだ」みたいなのを見ながら、言葉に留めていくんです。
言葉に留めていったものを、後で絵にしていくっていう感じかな。

山口

イラストやデザインなどのアート作品は、誰かのウェルビーイングへと影響を与えると思いますか?

ひやま

正しい答えになるかは分からないですけど、私の考えを言えば、子どもの時からずっと絵を描きながら、他人の絵を見たりするのがすっごい好きで。
だから自分のギャラリーカフェを作っても、自身の作品展をするだけじゃなくて、他の作家さんをここに呼んでくるんです。
いろんな人の作品が私は見たいから。
それは自分が育ってくる過程で色んなアーティスト作家の作品を見てきたからだと思うんですけど。
ただ、やっぱりそうした過程で、ずっと絵を見たり、小説を読んだり、好きな時間に没頭できるだけではないじゃないですか。
私たちって社会と接してるから、社会のことに否が応でも対応しなきゃいけなかったりするでしょう。
例えば私だったら、小学生の時いじめにあったということがあったけど、でも自分の世界観をちゃんと持ってたんですよね。
社会と折り合いをつけながら生きていくことができたんです。
それはすごく自分にとって良くって、誰かに何か言われても、誰に何思われても、自分の中で積み重ねてきているものっていうのが私の場合、芸術だったり絵だったり音楽だったりするんですけど、私が孤独だった時、私が良い気持ちでいられなかった時に、黙ってそこにあってくれるわけです。
「今日、学校で何かあったの?」とか、お母さんみたいには訊かないんです。
本を開けば、その物語がそこにあって、画集を見れば、その絵はそのままそこにあって。
それに対して自分で何を思うかっていうのは、そのときどきによって違うわけなので、それをまた自分でも観察するんですよね。
そうしたことを、子どもながらにもずっとやり続けてきてたっていうのは、すごく大事だったなって。
それは別に「子どもだったから」ということではなくて、誰もがいつ始めても良いことだと思います。
勉強のために、教養のために、美術や芸術を知ろうとしてきた世代っていうのが上の方にいるんですけど、そうではなくて。
自分のアイデンティティや自分の悩み、もっと言うと、自分の体や心を壊した時、そういう時に出会うものが美術や芸術であってもいいなって私はすごくおすすめする。
そういう可能性があるって私は思っています。

山口

アートに対してコンプレックスを抱えている人でも、気軽に触れることができそうな活動ってありますか?

ひやま

なんか「アート」という言葉が、日本の中ではあまりにも他所とは違う使われ方がしてるように、私はやっぱり思ってしまいますね。
私の中で美術や芸術と「アート」では、その意味合いに違いがあって。
「アート」は、社会と人間っていうものがあって、初めて成り立っていると思うんです。
逆に「大自然はアートではない」と、私は思うんです。
あれはどっちかというと、美術や芸術の側であると言ったらですけど。
まあどちらにしても、人間が手を加えたりするものなので、「何でもかんでもアートっていうのは違う」と私は思っていて。
それでも、そのまずその「アート」への理解が進んで、段々とそこらへんがコンプレックスになっちゃっただけなのかなぁ?
ともかく「アート」の方が優しいと思うし、受け皿が広いのかもしれませんね。
だって「アートをやる」ってことは、必ずしもアーティストでなくても全然よくって。
社会の中で生きていて、思ったり感じたりすることがあれば、それを何かで表したり、誰かと何かすることみたいなのが「アート」だと。
接続先に社会がなければ、多分「アート」は成立しないって、私は思っているんです。
「アート」にコンプレックスがあるのか、それとも美術や芸術、絵画の方にコンプレックスがあるのかでは、話がだいぶ違ってくる。
ひとくくりに、それらを全部「アート」って言ってしまっている日本の期待というものは、「ちょっとなぁ」と私は感じてしまっていて…。
例えば、私がベトナムで展覧会をやった時、現地の人ってたくさんいろんなことを聞きたがって、アーティストである私と話したがるんです。
「観るだけじゃ分かんないじゃん」みたいなやり取りなんですよ、海外だと。
じゃあ私が何にコンプレックス持ってるかなと思った時に、ジャニーズとかKポップとかに私自身は1ミリもはまらなかったんですよ。
それは否定するわけじゃなくて、どう見ても綺麗だし、みんなかっこいいし、踊れるし、すごいんだけど。
ただ、ただ、私の生活に必要はなかった。
クラスの中でみんなが切り抜きとか写真とか持ってんのに、私は持たないし持てないというか。
そこに入れない自分にコンプレックスを感じなくはなかったけれど、それはやっぱり、自分が当事者じゃなかったんだと思う。
アイドルが存在することによって、「自分が幸福になった」「助けられた」みたいな当事者経験は私にはなかったから。
逆に、アートをやったことがない人がどうやって「コンプレックス」を克服するかっていうと、身近で行われている何かのアートプロジェクトに自身が参加したっていう、その当事者体験っていうのがもし暮らしの中で積めたら、そんなものいくらでも解消できるんじゃないかなと。

山口

「アーティスト・イン・レジデンス」の中で芸術を仕事とするひやまさん側から見て、ほとんど芸術に触れる経験がなかった人たちと、ご自身の芸術作品を通して触れ合うことで、何か吸収できることや学ばれていったことはありますか?

ひやま

普段その場所にいないアーティストが、例えば鳥取県外からやってきて、鳥取の地域に一定期間滞在をし、その土地で制作・発表する「アーティスト・イン・レジデンス」って、日本では「滞在制作」って言われることが多いです。
短い人では一ヶ月ぐらい長いところでは一年とかやったりするところもあるんですけど。
そもそも「アーティスト・イン・レジデンス」っていうのは、個人としてもできるんですけど、自治体やそこにある文化施設やギャラリーかアーティストの旅費や、宿泊費、それから保証費とかそういったものを提供しながら、「あなたの作品を、この場所で、この土地のために作って、ここで発表してほしい」という仕組みかな。
私も「アーティスト・イン・レジデンス」をやったことがあるんだけど、確かに呼ばれていくと数名はアートや芸術に対して熱い感じの人もいるけど、大体の人は、呼んでみたものの「アーティスト・イン・レジデンスって何ですか?」みたいな感じ。
「あんたは、絵描く人なんか?」みたいな。
でもそれでよくって、アーティストだからって特別扱いされるんじゃなくてね。
一緒になって、そこの地域の関係人になるというか。
アーティストの側はそこで吸収をしていく。
最近日本では、やっぱり地方でが多くて。
つまり、人口減少の目立つとことかに行くことが多いんですけど。
「外から人が来ちゃったわ。どうやら、絵を描いとる人らしいで」っていう反応だったかな。
で、どう関わり合うかっていうことですよね。
もともとヨーロッパとかだと、王宮とかにこの壁画書いてほしいって感じでレオナルド・ダヴィンチがフランスへと呼ばれたりとか、すっごい昔からあるシステムなんです。
そもそも日本でも昔からあって、京都の寺の天井とかに「ここに絵描いて欲しいんや」って頼まれて、遠くから絵師がやって来るみたいな、そんな感じなんですよ。
お寺とか、結構いまだにやってるところがある。
私の場合は、当時は大阪に住んでたので、そこから「アーティスト・イン・レジデンス」に八頭町へ行って。呼ばれたところが、今住んでる若桜町の隣町の「隼Lab.」という図工室だったので、そこで制作したんです。※1

※1「鳥取R29 AIR」による2017年度のアーティスト・イン・レジデンスとして、ひやまさんが招へいされた。
https://totto-ri.net/news_r29air_exhibition/

地域の人と接するかって言われると、この時も大雪でちょっと誰も歩いてないみたいな感じで、「誰かと接しようがあるのかな?」「どこに行ったら地元民に会えるんだろう」みたいな、所ジョージさんの気分です。
スーパー、銭湯、公民館図書館、近所の喫茶店とか人がいそうな部分に、とりあえず行ってみたら、みんな私へと話しかけたがったんですよ。「何歳なんだ」とか、「どこから来たんだ」って聴いてきて、最後に「何しとるんや?」って。
私が、ここで一ヶ月からして絵を描いて、いついつここで展示するんですという話をすると、「そうなんだ」って言ってそこに来てくださるんですよね、みんな。
すごいんです。
やっぱりいいなと私が思ったのは、例えばみんなモネの絵とか有名な人の絵だったら観に行くと思うんですけど、こんな誰も知らないような私の絵を、しかも雪の日に観に出掛けてくれるなんて普通じゃないじゃないですか。
関わり合った人が「あんた、どんなものを描くんか、見てみようじゃないか」っていう、そういう「人対人」だから起こり得る現象だと思うんです。
そういうものが、私が体験した「アーティスト・イン・レジデンス」にはありました。
あと、友達がビジネスでノルウェーの方に行った時は、そうした「アーティスト・イン・レジデンス」がもうその地域の人にとって根付いていたって言ってました。
そうした土地では、住民みなさんのアーティストの受け入れ体勢が生活の文化として整ってるというようなことを友人に聞いて、「あ、そこは日本では、まだまだこれからなんじゃないかな」って感じたりもしていました。

山口

アートとか、芸術活動に関心が無かったりする人が得られる学びってありますか。

ひやま

学ばなくていいんじゃないかな。
日本人の美術を鑑賞するポイントの一つとして、さっきもあげたんですけど教養みたいな「学ばねば」「知識として身につけねば」みたいなのが、多分もう何十年、何百年と日本ではやってるんだけど。
むしろ、江戸時代までとかの方がもっとフレンドリーなんですよ。
なんか急に額縁に入って壁に飾られていったので、もうちょっとそれは堅い気がするんですけど。
学ばないくていいと思う。
楽しかったらいいと思う。
楽しいことが最終的に学びになってもいいけど、学びを目的にして何かを得ようっていうのは、なんかほとんどのことにおいて私は違うと思っていて。
私は十年間ね、手作りで毎日ご飯作って、すっごい料理上手になってるなって思ったんですけど、すっごい嫌だったんです。
だって、家事したくない。
搾取だって思いながら十年間やってて、それでもすごいなと思ったの。
ちゃんと出汁も取れるし、炊飯器はないから米を鍋で炊けるし、その自分なりに味付けみたいなのができてて、もうそれなりの十年だったんだなとか思いながら、学びだと思ってんですけど、でもどっかにやっぱり料理をすることの楽しみがあったんですよね。
季節の素材を使うと美味しい物ができるし、誰かが食べてくれるかもしれない。
そういう想いを持って時間を重ねたから、自分の料理がこんだけできてきたかなぁと。
アートや芸術に関心がない人が学びのためにアートや芸術に触れるなんて、絶対やめた方
がいいと思うし、もっと自分が好きなことの方に行ったらいいと思います。
ただ、社会の中で関わりあえた人や出来事の縁結びのきっかけの一つとしてアート作品であったり、芸術があるかもしれないっていう可能性はもちろんある。
それを近年、可視化しようとしている最中なので、私にも「アートはいいな」と思えることはある。

山口

イラスト描く際に決めているルールがありますか?

ひやま

そう、イラストレーターが職業である私は、アーティストではないってずっと思っているんですよね。
だからイラストの一番大事なことは、クライアントさんが、何を表したいのか、どんなことをやりたいのか、何を思っているのか、どんなふうに伝えたいのか、を可視化するお手伝いする、あくまで一パーツであることだなぁって思っています。
クライアントさんとしっかりお話をするっていうことクライアントさんが好きなもの、その人の趣味嗜好であったりっていうのを伺って。
そして、その時に一番大事なのは、「この人が求めているイラストレーターはもしかして私じゃないかもしれない」っていうのを早めに見極めることだと思っています。
すっごく、それは大事。
だからクライアントさんには、「私こういうタイプですけど、大丈夫ですか」っていう念押しを何回もしていきます。
「私、何でもできますよ、描けますよ」って、若い頃はちょっと言っていた時もあるんですけど、それはお互い不幸になるからやめとこうと。
今はもうしっかりお話を聴いて、そのクライアントさんをできるだけ知ろうと、それこそインタビューするんです。
「あ、この人のやりたいことに、私はすごく気持ちがのっかれるな」「気持ちのっからないけど、ちょっとギャランティーはいいし、なんとなく好きな方向だからやってみよう「この人の気持ちすっごく分かるし共感するけど、この人のやりたいことの先にあるイラストは私じゃない」みたいなのを、本当にそれこそインタビューしてコミュニケーション図って、知っておかないと、お互いに幸せになれないって思っています。
あ、後は、しっかりと鉛筆を削るくらいかな、マイルールとしては。

山口

最後の質問です。
好きを仕事にして、よかったこと、大変だったことは何でしょうか。

ひやま

そうそう、好きを仕事にしてると思われるんですけど、私は消去法によって、ずっと油絵やってたんですよ。
でも、「油絵で、この日本で食べていけるのかな?」ってちょっと早めに思って。
油絵と同時進行で、同じぐらいの年月の間、お芝居を私やってたんですよ。
そっちも「うん、どうやら私には向いてなさそう」ってのは高校生ぐらいの時に分かって。
それでこの社会で生きていくってことは、ある程度のお金を稼ぐ何かしらの術を持って、世の中で生活していかなきゃっていうのが私の中ではあったので、「自分ができることの中でお金になりそうなこと何かな?」と思った時に、デザインとかイラストの道を選んだんです。
そう自分で選ぶ前には、飲食店でのバイトと経験とか海外に行った体験、あとライブハウスとかでも働いてたんですけど、そういうことを全部あの二十代のうちにもうわっとものすごい一気に経験してるので、それを持って三十代に行こうと思ったんですね。
なので三十代で鳥取へと帰ってきてお店作ってね、三年ぐらいになるんですけど。
なので、二十代は本当に好きから始まって、その周囲をわらわらわらといろんなことやってきて、それらが全部自分の中に入ってきてるから。
でもこれが三十代になるとね、入る物も入らなくなってくるんですよ。
ちょっとね、心の方も体の方もついてこなくなる。
確かに、「嫌い」を仕事にはしようと思ってなかったと思う。
できるだけ自分が好きな領域で生きていくためにはどうしたらいいかっていうことしか考えてなかったから、今もそうなんだけどその選択肢を追い続けて。
今、三十五歳にそろそろなるんだけど、次の四十代のこと五十代のことっていうのを一応自分の中にあってそこに向けて、今やっていることっていうのはあって。
十年作り続けたご飯じゃないけどやっぱり時間重ねてくるとね、その時間を裏切らない。
即効性はないかもしれないけど、「ちゃんとここは、ここにはまったんやな」みたいな感じになってくる。
みなさんぜひ、「好き」を仕事にしてくださいね。

山口

ありがとうございます。

ひやま

すごいですよね。
こんな水知らずの人にこんな濃い質問を皆作ってくれて本当すごいなあって思いました。

山口

さっきアートも芸術も学ばなくていいってひやまさんはおっしゃってたんですけど、私は、何かをしようと思った時に、「何かを学んで帰りたい」ってどうしても思っちゃいます。
どういう動機をもって、新しいことへとチャレンジしたらいいのかを教えていただきたいです。

ひやま

学ぶって何だと思いますか?

山口

少しでも知識を身につけて帰ったり、とか。

ひやま

その知識を身につけた後はどうするの?

山口

自分の経験知にする、とかです。

ひやま

さっき私が言った「二十代のうちは、モヤモヤのままにストックしていき、それがいつか何かに役立っていたらいいな」ってことかな?

山口

はい。

ひやま

数学のテストで、みなさんは四点とかとっちゃったことってあります?

一同

(うなずき)

ひやま

あるんだ、あーよかった。
私も、とったことあるんです。
でも、今は自分でお店経営するにあたって、エクセルを使いこなして確定申告し、店の経営状況を毎月見て、売上げのこの収支を手前付けにやりながらって感じで、なんとかかんとかやってるので、私の暮らしに必要だったのは「数学」じゃあなかったんですよ。
それがあったから、私は自分の中に取り込むことができたんだけど、それが実体験としてなければ、そんなに入ってこないんじゃないかなって思うんですよね。
パリに行った時に、
さすがにパリまで来たんだし、こんな名画が目の前にあるんだから、何か感じるだろうって思って有名な美術館に行ったんですけど、全然入ってこなくて。
作品の横に解説とかあるんですけど、ガイドとかついてるんですよね。
どういう歴史があってと聞いても、どうして心が動かなかったんだろうなって思ったのは、その作品を観るっていうことより、その作家の全体像を見て、その作家の中にこの作品はあるんだっていうことが私には大事なんだと気づいたんです。
みなさんが、もしこれから美術館に行かれたり、アートっていうものに関わってみようって思われるんだったら、まずその作家、もしくは例えば地域において滞在してきた人と、地域ていうものの全体像を知った上で、そこから入っていく方がいいのかもしれないと思います。
もちろん、「観るだけでも、なんだか感動させられたわぁ」みたいなものも、たまにある。
だけどそれだけを求めて行って持ち帰るものは、そんなにはないんじゃないかな。
それよりも、子どもの時、何百回と同じ絵を画集で見てるわけですよ。
その時間の方が、その中で見たこの作品の方が、私にとって重要だったっていうことだったかな。
そうしたものの方が「実体験」だったりもするから。
そうか、皆さん今学生なんですよね、そりゃそうだ。
でも羨ましいなって思います。
「私、学びたいな」と思う気持ちになれたのが、やっとこの数年なんですよね。
だから、学びたい、学んで得てみたい何かが、二十歳の時の私には分からなかったんです。
「自分のものになったら、こんなにも面白いんだ」っていう実感を、「学ぶこと」に対してはあんまり持ってなかったんでしょうね、きっと。
それがないまま大人になってきたけど、でも生活を通して、あれやこれやとやってるうちに学び得ることの面白さに自然と気づいてきたのかも。
だから最近、大学に行きたいって思い始めてます。
そっか、だからそのことにいち早く気づいてるあんたたちすごいね。
学ぶ美術ってのも、もちろん分野としてありますよね。
「学ぶ」と「感じて学ぶ」は、もしかしたらちょっと違うものかもしれないって私は思います。

石田

では、今からはフリーディスカッションに移って行きます。
ひやまさんは、時計に刻まれていくような「他律的な時間」ではなくて、ベトナムでも大阪でも、そして鳥取大学でも、どこにいらしても「自律的な時間」をちゃんと持っていき、その時間の中に身を置かれていかれてるような、そんな印象をお話を伺いながら私は抱きました。

ひやま

そうですね。
だから職業で「イラストレーターです」「お店やってます」というよりは、「ひやまちさととして生きてます」っていう感じがすごく強くて。
それを多分確立し始めたのは、やっぱり二十代。
例えば自分がまだ未熟であったとしても個展を開いて自分の絵を人に見てもらう。
未熟であったとしても、文章を書いては、人様に読んでもらう。
そういうことを繰り返しているので、自分が世に出したものを誰かに受け取ってもらうことができたからこそ、自分はこの社会にいてもいいんだなっていう経験値を積み重ねてきたんだと思います。
ある種、それは自己肯定感って言われたりすることもあるのかもしれないですけど。
決してもともと自己肯定感が高いタイプではなかったんです。
それはやっぱり二十代からの発見だなって。
むしろ十代の頃は、他の人の方が絵がうまくて、他の人の方がコンクールにも入賞し、他の人の方が舞台でも主役を張っていた。
私といえば、だいたい隅にいるような、そういうことがあったんですけど。
でもその中で、今言われたように、多分二十代の時、私は社会の中に自分の居場所みたいなの作っていたのかなって思い返します。

石田

最初知人よりひやまさんの紹介を受けて、作品をいろいろネットとかで見た時に、本当に気持ちよかったんです。
「あ、とても気持ちのいい絵を描かれる方だな」と思って、実際お会いすると、やっぱり気持ちのいい人で、なんかそこにブレがなかった印象です。
小説でも何でも作家って二タイプいて、作品だけ見て面白い方もいるんですけど、例えば宮沢賢治なんかは、その人の生き様や或いは挫折のエピソードを知った上で賢治作品を読むと、それを知らずに読むより数段面白かったりするんですけど、ひやまさんもそのタイプなんじゃないかな(笑)

ひやま

宮沢賢治と一緒になって嬉しい(笑)

一同

(笑)

石田

さっき、ひやまさんがおっしゃっていた、「自然のいっぱいある所に行くと、アートって特にもういらないじゃないか」っていうお話、私はすごく腑に落ちました。
しかし一方で、若桜町に今、ひやまちさとさんというクリエーターがいらっしゃるってことは、やはり町にとってすごく大きなことだと思います。
そして、今度開催されます「鹿野芸術祭※2において、ひやまさんはディレクターを担当されていますよね。

※2鹿野芸術祭
鳥取市鹿野町を舞台に開催されるアートフェスティバル。2016年より開催され、2020年から3年間かけて作品を制作し発表する、長期プログラムに取り組んでいる。2022年度は集大成として、作品発表の場としての芸術祭が2022年11月20日(日)〜23日(水祝)まで開催された。

ひやま

鹿野町に来られたことがありますか?
よかったら「鹿野芸術祭」にみなさん来てくださいね。

石田

鹿野っていう、とても素敵な町において、あえて芸術祭をするっていうのはどういう意図がありますか?
「鹿野芸術祭」に行くと、ひやまさんは、会場にいらっしゃるのですか?

ひやま

インフォメーションセンターにいます。
鹿野はね、列車が通ってないんですよ。
だから、車を持っていない学生さんなんかは、来にくい場所だと思います。
それこそ、ここからだとまだ若桜の方が時間かかるけど、車を持ってない人も電車で来られる町なんですよね。
鹿野町は「鹿野芸術祭」だけではなくて、鳥の劇場による「鳥の演劇祭」であるとか、週末だけのまちのみせであるとか、もう非常にイベント開催が絶えない土地でして、なんかすごい忙しい。
鹿野はですね、そういう文化面に対する受け取り方っていうのも長年積み重ねてきているので、例えば空き家でインスタレーションをやったり、急なおでん屋が現れたり、作家が昼間からふらふらしてみたいなね。
そういうことが日常にある。
どちらかと言うと「アーティスト・イン・レジデンス」では、さっき言ったノルウェーの方に近いようなそういう土地です。
なので、芸術祭はすごいやりやすいです。
逆に今いる若桜町はその辺が実はあんまりなくて。
双方とも同じ鳥取県の山間部で、過疎地と言われる城下町で同じような条件にも関わらず、二つはすごく土地の感触違うのですね。
私も、それぞれの特色の違いを楽しみながらやっているんです。

鹿野芸術祭2022パンフレット

石田

先ほど、「自分の体や心を壊した時に出会うのが、美術であったり芸術であったりする」ていうお話って、すごいなと思って聞いていました。
そうした場や機会を患者さん一人一人に沿って贈っていくっていうのは、アートセラピストとしての私の仕事であったんですけど、自分のメンテナンスというか、自分を「芸術養生」させていくっていうのは、素敵です。
ひやまさんは、幾つぐらいからそうした「芸術養生」を行っていたのでしょうか?

ひやま

意識的に取り込み始めたのは…、うーんでもなんか、それには三段階ぐらいあるのかな。
まず最初は、何も知らずに社会とうまく、学校での集団生活みたいな所とうまくやっていけない自分みたいなのがあって。
そうした状況の中で、学校っていう決められた時間は、必ずここに座ってなきゃいけない。
そうした他律的な時間とは違った私自身が時間を律する時間帯、それが絵を描く時間、画集を観る時間、舞台でお芝居する時間。
そういう時間は、小学校五、六年生ぐらいからありました。
その後に来る次の段階で言うと、やっぱり出産ですかね。
もう出産って本当に…。
それこそ自分の好きなように生きてきたわけじゃないですか、私。
出産って、本当に自分を一回失いそうになったんですよね。
正直、その時は私自身生き生きしていなかったかもしれない。
自分を保つために、そんな時こそ仕事をしたかったんでしょうね。
だから出産後一ヶ月ぐらいで仕事を再開しちゃったんですけど、ちょっとそこでやりすぎて体を壊して長引かせちゃったんです。
けどですね、そんな時に私が出会ったのは、実は絵ではなくて、詩だったんです。
なぜかというと、三時間おきに授乳や赤ちゃんにミルクを飲ませて、その間にはそれだけじゃなくて、オムツを溢れたうんちとかを回収して、またシーツを洗い、それでなおかつご飯を作り、家の家事を回しながら仕事をやってたものだから、もうパンパンですよねぇ。
そんな時には、本が読めない。
大好きな本が読めない。
小説の中に没頭できないし、美術館にも行けない…。
「ど、どうするんだよ!わたしっ」ってなった時に詩集を読んだんですよ。
詩集って、長い詩もありますけど、短い詩みたいなのがあって、それがね、すっごい染みたんです、その時。
本当に乾いた土に水が染み込んでいくような、そんな体験があって、すごいよかったの。
その時、私は詩に救われたんですよね。
一回崩れちゃうとね、自分に大丈夫だからって言い聞かせられるメンタルに回復させるところまでが結構大事で。
詩を読むことを糸口に、ちゃんと自分でやったんですよ。
それを自分で言うのもなんですけど、「偉いなぁ、私」と思ったんですけど。
実体験としてそれはあったし、いいなと思いました。
あと三つ目は、自分の父親が、精神科医ではないですけど、ソーシャル・ケアワーカーなんですよね。
なので、なんだか子どもの時からいろんな人が家にいて、「このおじさんは誰なの?」という家族じゃない人が。
年に一回だけうちに来るおじさんがいて、普段は何とか病院にいるんだけど、帰る場所がないんですよね。
夏の休暇の時、家に来てカブトムシを一緒にとってくれるおじさんとか、天井中にゴキブリが見える人が、うちにいて、「ここは何だか大丈夫な気がする」みたいな感じに言ってくれてる。
その時は分からなかったけど、精神的な病を持っている人、もしくは依存症だったのかな。
アルコールや薬や、そういうことを抱えながら生きている人達が、子どもの時からうちにいたっていうのは、私には多分経験として大きいのではと思います。

石田

大きいでしょうね、それは。

ひやま

その知らないおじさんが亡くなった時、葬式に行ったんですけど、父と私以外は来てなくて…。
だから本当に誰も身寄りがない人だったんですよね。
それとか私、学生時代に飲み屋でバイトとかしてて、やっぱり体に響いてくる仕事だなって思ったので、自分には向いてないっていうふうに思ったんですけど。
でもやっぱりね、三十代は体大事だからね。

石田

そうでしたか。

ひやま

女性の皆さんは本当に…。
あ、それはね、私が女性だからフェミニストみたいな感じで言うんじゃなくて、実体験として女性という性機能を持って生きてきたからでの実体験しかないから。
私が男性のことが分からなくて申し訳ないんですけど…。
本当に子宮と内臓と等々は、男性社会と同じ生き方を女性がしようと思うと、後々本当に響いてくる。
今まだ日本っていうのは、男性社会が作ってきたものの中に「どうにかこうにか女性を取り込んで、女性の生産性を上げていきましょう」ってなってる。
そうじゃなくて、やっぱりもともと女性には、身体的に子どもを産んですぐに復帰し仕事ができないのには理由がある。
そういうライブステージ。
それでも出産して子育てをしたりと、みんなで幸せを分かっちゃいたいからするんですけど。
だからと言ってこの男性が作ってきたワークステージに、女性は無理に自分を合わせなくていいと思う。
その時、自分に仕事ができなかったとしても、その時、自分がお金を稼げない状況にあったとしても、もう本当に生きて体を維持することが一番大事なので。
いつかみなさんにもそういう場面が来たら、この話を思い出してほしい。
自分の体を第一にしてね。
すいません、男性には男性の悩みがあると思うんですよ、もちろん。

石田

大切なテーマですね。
今日は本当にひやまさんにたくさん話をしていただいて、嬉しい時間でした。
ひやまちさとさん、本日はありがとうございました。

一同

(拍手)

ひやまちさと

イラストレーター・Galleryふく店主

1988年生まれ。県立鳥取湖陵高校卒業後、関西でデザインとイラストを学び、イラストレーターとして活動中。若桜町で空き店舗を活用したギャラリーカフェふくを主催。

石田陽介

鳥取大学 地域価値創造研究教育機構 准教授

精神科病院勤務を経た後、まちに芸術養生が息づく社会の仕組みづくりの実践研究に取組む。現在鳥取で美術館セラピープロジェクトを推進中。日本芸術療法学会認定芸術療法士〔アートセラピスト〕。博士(感性学)。

やまぐち組

鳥取大学デザインプロジェクト2022年度受講生

インタビュアー:山口楓
記事執筆担当やまぐち組メンバー:髙畠宏架、山口楓、西塔亮之介